「郊外の社会学」読書ノートと雑感

【2014年1月のツイート転載】
「郊外の社会学」という本のネタだか、ハウスメーカーの商品名は1980頃を境に変化したらしい。それまでは「A型」「B型」のような機械的ネーミングだったり「白鳳」「輝」のような和風重厚だったのが、1980を境に「イズステージ」とか「シュシュ」とか「センチュリー」とかカタカナ化
多摩ニュータウンの名称は1985頃までは「永山団地」「諏訪団地」だったのが、1985頃を境にカタカナ化。建物意匠も南大沢(南欧風)みたく個性化した
建築家の中に、「住宅やってる建築家は下クラス。上クラスは大規模公共建築を手掛ける」の記載あり。多分それが建築家のヒエラルキーなんだろう/多分スーパーゼネコンも「公共施設やビルが上、マンションは下」意識?
本来の注文住宅は、施主と建築家が対話しながら作っていく。その過程は自由恋愛に似ている/プレハブ住宅はその対話過程をショートカット。お手軽。建築家隈研吾は「自由恋愛をショートカットした行為」として、「プレハブは性風俗みたいなもの」と酷評
プレハブよりお手軽なのは建売。隈研吾に言わせれば、建売はソー●ランド位にお手軽なんだろうな。プラウド●ーズンは吉原高級ソー●、飯●のいい家は西川口辺りのソー●
あっ性風俗云々の話は、自分の見解じゃなく「郊外の社会学」若林幹夫のネタです。悪しからず。
多摩ニュータウンのネーミングのキラキラ化は、三浦展の「第四山手」に対応するためだったんだろうなあ/人口移動的には1985〜1995に第二次郊外化の波があったらしい。団塊世代が郊外移転したのか?マンション供給はこの頃はあまり活発じゃなかった筈
キラキラネーム化が首都圏マンション(1985以降)より地方注文住宅(1980以降)が先行していた、の若林の指摘は面白い。多分1980にまず地方の団塊世代が注文住宅を建て、1985以降は首都圏団塊が第四山手マンションを購入。このタイムラグ
洛西の「桂坂」って、セゾンの開発だったんだな。まさに関西で「第四山手」を作ろうとした
ハウスメーカーの商品名に漢字はめっきり少なくなったな。ヘーベルの「新大地」位かな?/ましてやマンションの名前に漢字オンリーはない・・