ナベツネが殺されない位、日本は労働者が弱くなった 

労働者も弱くなったものだと思う。

ナベツネの発言
>「フッ、無礼なことを言うな。分をわきまえにゃいかんよ、たかが選手が」。
>さらに「(選手が)オーナーと対等に話をする、協約上の根拠は1つもない」。
>語気を強めて、追い打ちをかけた。

しかし、選手側には労働者としての権利があることは1985年に確認されているので、
上記の発言を翻訳すれば、

>「フッ、無礼なことを言うな。分をわきまえにゃいかんよ、たかが労働者が」。
>さらに「(労働者が)経営者と対等に話をする、就労規則上の根拠は1つもない」。
>語気を強めて、追い打ちをかけた。

ということになる。
これが1950〜80年代の発言であれば、労働側の猛反撃を受けて、
即刻辞任であろう。

というより、1950年代の労組は、半分「暴力路線」だから
(当時の社会党マルクス暴力革命路線を堅持していた)、この発言をした時点で、
ナベツネは半殺し、いや間違いなく殺害されていただろう。

ナベツネの発言に対して、連合会長が「選手会を支持する」程度のコメントしか
発せられないのが情けない。
1980年代の総評であれば、少なくとも読売新聞へ抗議デモを行い、不買運動位は
やっていただろう。
(1950年代の総評なら、間違いなく武力闘争しただろうね)

ナベツネが殺されずに存命な所を見ると、労働3権というのは、確実に弱くなっているらしい。

1930年代の発言なら納得いきますけどね。

しかし、読売1,000万人読者の過半数は「労働者」だと思うのだが、
この御仁、読者の反発、ということは一向に気にしないらしい。

参考サイト
http://pata.air-nifty.com/
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ぼくはスポーツ紙は「トーチュー」を買っている。FC東京を贔屓にしてくれているからだ。
だから、あまり他の記事には期待していないのだが、今日のトーチューに載った労働法の
前田政宏専大名誉教授にプロ野球選手会のストに関して聞く、というインタビューは
読ませてもらった。サマライズしてみると以下のようになる。
1)選手会労働組合であるかどうかについて機構側は問題視しているが、都労働委が
 労働者性を認めている以上労組だ
2)労組であるならば、経営者側は団体交渉を求められたら応じる義務がある
3)しかし、経営者側の誰を窓口にするかを選手会も工夫しないと、いつまでたっても
 オーナーが出て来ない
4)その場合、労働委員会(具体的には都労働委になる)に斡旋、調停を要求すること
 になるだろう
5)都労働委は実行委、コミッショナーの言い分を聞いて問題点があれば公にする。
 必要ならオーナーの意見を求めるために、話し合いの場に出席を求めることができる
6)それでもダメならストになる
7)ストは投手か捕手の指名ストになるだろう。事実上、試合はできなくなるわけで
 「最小の犠牲で、最大の効果を挙げる」教科書的なストになる
8)しかし、ストをやれば、テレビは大リーグなどの代替コンテンツを探しだすだろう。
 自殺行為になる
というものだ。素晴らしい記事でしょ?インターネットにも載ってないので、
興味のある方は駅にGO!
今日の選手会でスト権が確立されれば、少なくとも5)まではいくと思う。
あと、選手会年棒何億円も稼いでいるなら、リスクヘッジする手段をもっと
考えるべきだったよね。山本七平の「日本人は水と平和はタダだと思っている」という
気に喰わない言葉の真実性がますます高まるじゃない。