青函トンネルは意義がなかったのか?

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e78d24015b24a2211aefee3089632454
で難視聴地域対策にCS配信をしないことを批判している。
論旨自体には共感できるのだが、1点看過できない表現がある。

>つまり、いま山間部まで地デジのインフラを建設することは、
>ジェット時代に青函トンネルを掘るに等しいのである。

どうもネット界の方々は、ともすれば東京中心主義、地方インフラ無用論に
陥りがちであるが、青函トンネルに意義がないと考えるのはあまりにも短絡的ではないか?

日本橋青空プロジェクト」よりははるかに意義があると思われる。
あるいは「2016年東京オリンピック」よりも。

北海道新幹線は小生は成功すると思っているが、新幹線を抜きに考えても、
物流面で北海道直通貨物列車を設定できること、災害時、非常時のための
アクセスルートを確保することには意義があると思われる。

勿論、投入した国費に対して見合った経済効果を生み出しているかどうかは
疑問の余地があるが、その先は政治的判断になる。

国費に見合った経済効果が見込めない場合でも、災害時・非常時を勘案して
建設する、という選択肢は充分ありえる。

地デジインフラは違う。
あんなもの、非常時・災害時を勘案する必要なんてこれっぽっちもない。

池田氏の比喩は、むしろ逆に「青函トンネルと同様に、経済的には見合わなくても
地デジはそれなりに必要なんだな」と「誤解」を与える可能性がある。

地デジの不要性を喩えるのに青函トンネルを用いるのは逆効果。
せいぜい「核ミサイルに石器で対抗」辺りの表現にしろ。