「適合性の原則」は女性差別も許される

金融商品では、
「リスクも判らなそうなおじいちゃん・おばあちゃんに、
 先物商品(などのリスク商品)を売ってはいけない」という
「適合性の原則」がある。

これを一般商品に応用すれば、
「小売店は、ノドに詰まらせそうな高齢者に
 『モチ』を売ってはいけない」
「小売店は、来店した高齢者がノドに
 詰まらせそうかどうか、チェックしなければならない」
「小売店は、来店した高齢者について、
 販売の経緯につき記録を取らなければならない」
「小売店、モチ製造業者は、モチが持つリスクについて、
 モチのメリット(美味しさ云々)と同程度の大きさで
 そのパッケージにおいて注意喚起しなければいけない」
「小売店は高齢者に対して、モチが持つ危険性について、
 その人の健康状態・知識等に応じた『説明』を
 行なわなければならない」

・・・なんか書いていてバカらしくなってきた。

モチだと完全に「笑い話・ジョーク」であるが、いわゆる金融商品においては、
これは何と実話である。
9月施行の金融商品取引法は、このような冗談チックなやり取りを
金融機関と高齢者に強いるものである。

既に金融庁には、金融機関からのパブリックコメント請求の山がゴマンと
来ていて(一説には5,000件)、パンク状態らしい。

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某金融機関では、リスク商品を「女性には売らない」という
内規を定めているらしい。

また、ある金融機関でも、
「某商品の購入者の性比が女性に振れている。
 このままだと金融庁が検査に入ると何言われるか判らない
 (リスク説明をキチンとしていないと言われかねない)ため、
 男性へ営業するか、女性への勧誘を控えよう」
というようなやり取りがあったりするらしい。

つまり、金融機関側も、監督する金融庁側も、
「女性の方がリスク等の商品理解力が劣っている」という大前提の下に
動いている。

この原則が意地悪いのは、
「どういう顧客に対して売っていいか悪いか、の判断は
 金融機関自身が考えろ!」というスタンスらしい。
(コンセプトとしては判例積み上げ主義の英米法的コンセプト)

その結果
「どういう顧客へ売っていいかどうか、の内規は
 各金融機関が考え」、
「その内規は公表されない」
ということになる。

※内規を公表すると、内規を知った上で「ウソついて購入する」
 顧客が現れかねないため、公表されない。

なので、日本国憲法違反的内規があっても、お咎めもなければ
法的救済もされないことになる。

金融商品販売法は、とにかく
「売らないことによりリスクに巻き込まれることを防ぐ、
 お節介規制法律」という色彩が濃いため、
「投資したくても『内規に抵触』していて門前払い」という
顧客は救済されない。

悪法レベル=C

※因みに悪法レベル=特Aは裁判員

【参考HP】

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/eb6977806c3555e001c76db9b5c31ce6

>テーマは「英米法におけるUndue InfluenceおよびUnconscionabilityの
>概念とジェンダー・バイアス」。
>夫の債務について妻が保証したり担保提供したりする取引は、
英米法において"sexually transmitted debt"としてequity上の
>契約取消原因であるUndue Influence(英国)、Unconscionability
>(オーストラリア、カナダなど)によって、一定の要件を満たせば
>取り消しうるという判例法理がある。

>1994年のO'Brien判決がリーディング・ケースとされるが、その前提として、
>妻の夫への感情的・経済的依存関係を認定しているため、その問題から
>派生するフェミニズム法学の根源的なジレンマ(結果として弱い立場の
女性が救済されるのは歓迎だが、女性=夫との関係で弱者と定義するのは
>いかがなものか)について提起した。

>来年施行予定の改正金融商品販売法で適合性の原則が私法上無効の原因と
>して規定されたこともあり、これについての判例も蓄積していくと思われ、
>その際、他の条件は全て同じなのに女性ということで投資適格がないと
>判断する傾向が出てきた場合、日本法でも同じジレンマに直面するのでは
>ないかと結んだ。

ジェンダー法は、公法、刑法、労働法、家族法の文脈で問題にされることが多く、
>私が専門にする財産法についてジェンダー問題が議論されることはあまりないので、
>そういう意味でも先鞭をつけられたと考えている。