読書ノート・田中政治

★竹下創政会:わずか40人⇒経世会113人まで2年で膨張
★二階堂:若い頃アメリカ滞在経験
★二階堂グループ:田中派では「外様」が多かった
 直系ほど竹下擁立に動く
★昭和59年稲村環境庁長官田中派入り
 ⇒当選6回議員の反発「大臣ポストが遠のく」
 創政会メンバーに直系が多い一因
角栄:山下一利や小坂徳三郎を厚遇(竹下を牽制するため)
★二階堂グループ:4人が鹿児島
 「鹿児島だと二階堂支持論に逆らえない」
★ニューリーダー3人の人気投票:竹下が万年3位
★二階堂擁立劇推進:鈴木前首相、福田前首相など
★田村:二階堂擁立劇の黒衣
 (昭和62分裂では竹下支持)
★関電の芦原氏:竹下に近い
 クーデターで芦原を追い出した小林氏:二階堂に近い
 大阪で二階堂のパーティーに協力
★後藤田:竹下、二階堂両氏とも距離を置く
★昭和23年10月民自党山崎幹事長を首班に押す工作(GHQも後押し)
 ⇒当時一年生の角栄らが潰す
★鈴木退陣後、「中曽根総理、福田総裁案」も・・・二階堂が支持
 福田も受諾しかけたが、中曽根が蹴る
★鈴木:中曽根に「禅譲」したつもり
 ⇒中曽根が鈴木を「ないがしろ」にして田中に傾斜・・・面白くない
 加えて中曽根が田中六助を幹事長に一本釣り
 (鈴木が後継にしようとする宮澤のライバル)
★田川:閣内にいながら田中批判
 「新自クを切って、公明と手を結ぶべき」案も
★40日抗争:大平は公明に入閣求めた⇒公明断る
公明党「二階堂は灰色高官だが、タカの中曽根よりマシ」の認識
★鈴木:宮澤に階堂擁立構想知らせず
 ⇒宮澤は知らずに総裁選出馬表明
★決まりかけの二階堂クーデター
 安倍が反対して挫折
 「清和会はナンバー2、ナンバー3。
  ナンバーワンにならなければダメだ」
 岸も反対
★竹入:灰色高官問題で二階堂に同情
★金丸:40日抗争で総総分離画策(田中の意に反する)
★戦前の星亨:衆院除名になりながら、選挙で再選
田中派:重点候補は、選挙で幹部がマンツーマンでテコ入れする伝統
★昭和58年選挙:自民全体は負けたが、田中派は殆ど負けず
★公明民社:ホンネは連立したいが、田中がいることで、
 世論向けに「反自民」を打ち出さざるを得ない。
 ⇒二階堂政権になれば田中問題が棚上げになるので、好都合
★田中判決のおかげで「政倫審」が国会に出来る
★田中:学究肌の宮澤は好きになれなかった
★安竹連合:「竹下さんは田中とは違う」が安倍の思い。
★田中が強いため、オールドリーダーが引き立つ
 (ニューリーダーが小さく見える)
★藤尾=安倍=中曽根のライン
 福田←→中曽根とは違う(選挙区で争っている)
佐藤孝行:中曽根と田中のパイプ役
★中曽根:59年末の段階で早くも「サミット&衆参ダブル選」を構想
 ここで大勝して、田中の影響力を弱める計算。
 田中もそれを察知して、ダブル選には反対だった。
★創政会:超マル秘
 口の軽い人は外された(渡部恒三とか)
★安倍:創政会の動きを早期に知る
★竹下:自分より年上、当選回数多い「長老」には創政会の声を掛けなかった。
 (やりづらくなるため)
田中直紀がキー
 「直紀が創政会に入った」「入らなかった」で情報錯そう
 (この動きが「オヤジの公認の動きかどうか」を計るモノサシ)
★竹下:60年1月23日の竹下会でカネを配った。
 これがオヤジの逆鱗に触れる。
 「創政会は勉強会なんかじゃなく、派閥活動だ!」
★創政会の声が掛からなかった長老議員:竹下に反感抱く。
★86年ダブル選挙:竹下が取り仕切り。
 これが竹下派立ち上げの素地に。
角栄入院:真紀子と早坂秘書が、角栄の取扱いについて対立
 真紀子は入院を期に父の引退を望んだ。
 入院後、角栄の資金繰り厳しくなった。
 →金銭的に政治活動できない、と真紀子は判断
★昭和62年の目白年賀挨拶
 竹下だけ断られる→竹下以上に金丸が怒る
 (経世会のキッカケ)
★昭和62年5月の「二階堂、総裁選立候補宣言」
 これで逆に竹下は経世会立ち上げしやすくなった。
★二階堂「角さんはこんなに元気になった」と写真公開
 →逆に「角さんをさらし者にしている」と金丸が批判
★ポスト田中時代:記者も困る
 今までは「田中を取材すれば政局が読めた」のに、そうはいかなくなた
田中派議員:案外「田中の人柄に惚れて入会した」という人が多い。
 特に田中派初期は。
 一方、竹下派の場合「竹下の人柄に惚れて・・・」というのがない。
 あくまで選挙・大臣ポストの打算で派閥に加わる。
★昭和55選挙の当選・入会組
 「田中派が最大派閥だから入った」という打算組が多い
 こういう人はすんなりと竹下派に入る。
 「最大派閥であれば、シャッポは誰でもいい」