【7月18日→8月9日 戦前の住宅展示場秘史】

8月6日
三浦展の「高級住宅地探訪」読んでると、成城住宅地は東京朝日新聞が「住宅博」を開催して販売したらしい。竹中が施工して、様々なデザインの家が出品。戦前の中流階級向け住宅地の販売では「住宅博」はポピュラーだったらしい
★戦後、割賦販売を武器に東京から「住宅御三家」が生まれた。殖産住宅相互、日本電建、大平住宅。だが、マスコミと組んだ「博覧会」の発想はなく、住宅展示場の歴史は数十年封印
★住宅博覧会、いや住宅展示場を「復活」させたのは東京じゃなく大阪。大阪朝日放送(ABC)が積水やダイワなど在阪プレハブ企業と組んで住宅展示場を企画。これが大ヒットして住宅展示場システムは一気に全国に普及し、このシステムとセットで在阪プレハブ会社は全国制覇した
★自分は住宅展示場のアイデアはABCのオリジナルと思い込んでたが、三浦展の著作で、戦前に原形が都内にあったことを初めて知った。或いは、ABCの関係者に、成城朝日新聞住宅博の歴史を知ってた人がいたのかも知れない。「戦前の住宅博を大阪で復活させよう」
★逆に言えば、戦後「御三家」は、住宅博覧会のエピソードを知らず、住宅博覧会を東京で復活させなかった。御三家は住宅展示場出展に出遅れ、三社ともに今は現存しない
★一定年代以前の関西人なら、ABC朝日放送が、日本教育テレビ(現テレ朝)じゃなくTBSとネットしてたことを覚えているだろう。新聞の系列とは相違していて、俗に「腸捻転」と言われてた。腸捻転が解消(ネットチェンジ)したのは自分が幼稚園の頃
★当時のTBSは、今の落ちぶれたTBSとは違い、まさに民放最強だった。そのTBSと組んだABCは、これまた在阪最強放送局だった。独自番組も数多く制作。だから体力もあり、様々な関連事業を開発する余裕があった。住宅展示場事業以外に、プラザホテルも建設運営した。