幼稚園時代の事件・出来事は、案外エアポケットで覚えてないものだ

【10月13日の自分のツイートの転載】
最近の社会の授業って、「香川用水」なんてのを習うんだなあ。自分は何となくそういう用水があるらしい、と聞いたことがあるが、少なくとも正式に小学校で習ってないので、詳しい知らない
香川用水が完成したのは1974らしい。自分らが日本地理を習う1978〜1979頃には、まだ教科書に載ってなかった、と言うこと。教科書を書き換えるようなビッグイベントも、実際に書き換えるには5年以上は掛かる
これが1974時点で大人の場合、いや中学以上の場合、報道経由で香川用水の意義を知る。/一方、1974以降に出生した人の場合、ちゃんと香川用水は教科書に載っている(と思われる)。
つまり、人間、「生まれてから、中学に上がる前位の12年間に発生した世間のイベント」については、一種のエアポケットになっていて、知らないケース多い。むしろイベント発生時以降に生まれた人の方が、きちんと学校で体系的に習ってる
この辺の感覚は年長者は持ち合わせてない。「そのイベント以降に生まれた若者なら、知らなくても仕方ない」的扱いをするが、「そのイベント以前に生まれた若者」だと「知ってて当然」的扱いをされる。実際の認知度は逆だったりするのだが
私見ではビートルズの扱いがこれに近い。自分たち世代はビートルズ活動期は幼児。上の世代はビートルズ活動期が中学以上だからビートルズを知ってるが、自分たちはビートルズを直接しらない/一方、下の世代、ビートルズ以降に出生した世代は、ちゃんと音楽の授業でビートルズを習っている
自分がビートルズを知ったのは、自分が中学時代に関西ローカルテレビ局のサンテレビビートルズの番組流していたから。いわゆるメジャー民放はそういう番組作らない。「旬の音楽じゃない」から/しかし旬を無視したサンテレビのお陰で、自分はビートルズを学べて感謝してる
ロッキード事件辺りも、相当知識としては怪しい。確か小学1年だな。「ピーナッツ」と言われても、よくわからない
「記憶にございません」は流行語になったから知ってる。「蜂は一度刺して死ぬ」は、もう中学の頃の言葉