有吉佐和子「紀ノ川」読書メモ

4月23日
有吉佐和子「紀ノ川」読書中/主人公の義弟(六十谷、現和歌山市北部)が東京からいろんな本を小包で取り寄せるシーンがある。時代は明治時代/地方に「書店」が普及したのは戦後、いや高度成長後と気付かされるシーン
地方から書店が無くなるのは、単に明治時代に戻るだけ、と考えたら、気が楽にな・・らない
「紀ノ川」では前時代的な嫁入りが描写されている/直線距離で数十キロメートル離れた嫁入り/旧家だからこんな離れた距離で嫁入りしたんだろうな/多分、戦前の水呑み百姓の通婚距離は、せいぜい数キロ範囲で、大半は1キロ内だったんだろう
通婚距離の変遷は、立派な社会学のテーマになると思う/トカイイシキタカイ民の通婚距離は、案外短かったりして。23区民同士で通婚する
東京のグローバルエリート(自称)が内向きなのは、通婚距離が短いからじゃないかと思う。/グローバルエリートの階層で、国際結婚が少なすぎる。下手したら、嫁不足の秋田県農村部より国際通婚が少ない
「紀ノ川」読み始めたきっかけは、「大学的奈良ガイド」という奈良女子大の本に影響されて。「吉野地区は、明治時代は和歌山側と通婚していたが、戦後は大和盆地側と通婚」/木材の搬送経路、つまり経済圏が通婚範囲と一致
戦前は吉野木材は紀ノ川筏で搬出してたが、戦後はトラックで大和盆地に搬出されるようになった
大和ハウス創業者石橋氏は吉野出身。彼はまず大和盆地にプレハブ工場を作り、会社を大和ハウス工業命名/もし吉野地区が戦後も和歌山経済圏に属していたなら、石橋氏は和歌山にプレハブ工場を作り、社名も紀州ハウス工業とかになっていたかも
つまり、あまり小説を読まない自分がわざわざ「紀ノ川」を読んでるのは、広い意味での競合他社研究、大和ハウス研究の目的、ということになる
小説の記述がどこまで本当なのか判らないが、「紀ノ川」によれば、日露戦争当時、徴兵されたのは次男三男ばかりで、長男は徴兵免除だったらしい/太平洋戦争では「長男徴兵免除」という話は聞かない
長男徴兵免除規定が太平洋戦争では無くなったのは、「そんな悠長なことを言っていられない」というのもあるが、「長男と次男三男の格差を縮小すべし」のようなコンセンサスが社会に共有された、ということだろう
実際、職業軍人なんかも、次男坊三男坊が多かったんだろう。分けてもらえる田畑が乏しいから、軍隊に入って生活するしかない
「紀ノ川」の記述だが、昔は「殼の白い卵が、ハイカラで栄養もある」と思われたらしい。今と真逆
「紀ノ川」で、日露戦争の頃の話だが、女主人公が初めて「アルミニューム」なる合成金属を見るシーンがある/よく考えてみたら、メジャーな金属の中で、アルミだけが「漢字がない」。つまり、古代には存在しなかった金属ということになる/電気が普及しなきゃ、アルミは活用されなかった?
4月24日
「紀ノ川」で、ヒロインが自転車に乗って、母親に折檻されるシーンがある/「24の瞳」にも、ヒロインが自転車に載って周囲が唖然とするシーンがあった/私見だが、日本人が「自転車リテラシー」を身に付けたのは大戦時じゃないか?徴兵兵士が軍隊でムリヤリ載せられた
で、終戦後、徴兵男子は自転車という便利な乗り物を故郷に広めた。日露戦争の徴兵兵士がカレーを広めたのと同じ構図/で、男性以上に女性が自転車を「女性解放のシンボル」として乗りこなした
あと自転車の普及には、「新制義務教育中学の設置」も影響してる。集落毎に設置された小学校と違い、中学校は数集落に一つ。集落に中学校がないエリアの中学生は、遠距離通学を迫られ、自転車に乗り始める
わざと陰謀論を書いてみるが、GHQが義務教育中学新設を命じたのは、小学校を中心とした伝統保守コミュニティーの希薄化、解体を狙った面もある?/義務教育中学生は自転車で隣接集落と交流することで、元の小学校コミュニティーへの帰属意識は希薄化し、小学校区単位の伝統保守は弱体化する
昨日の通婚社会学的にいえば、従来の庶民の通婚範囲が小学校区に留まっていたのが、戦後は通婚範囲が中学校区に拡大された/昭和30年代の大合併は、地域コミュニティーの小学校区→中学校区への拡大に伴う必然。自転車の普及が後押しした
よく考えたら、「小学校教師」は戦前にも沢山いたが、「中学校教師」は戦前は少なかったんだな/GHQ命令で中学校を作ったのはいいが、教師はどうやって確保したのか?小学校教師が免許なしで暫定で中学校も教えてた?
小学校教師は、ある意味「地域保守コミュニティの中心人物」。人脈的には保守政党の地域代表と繋がり/反対に、にわかに派遣された義務教育中学教師は、地域の「新参モノ」。保守人脈との繋がりは薄い/そこを「革新」が付け入っていたのでは?その結果中学教師は革新勢力コミュニティーの中核になる
昨日「アルミニュームは新しい金属たから、漢字がない」とツイート/だから「アルミニュームが自閉症の原因になる」「アルツハイマーの原因になる」などの陰謀論が湧いてくるわけだ。新しい物質は目の敵にされる
「紀ノ川」で、県政に忙しくなったヒロインの旦那は、「六十谷だと不便」として、和歌山市内に邸宅を買い求めた/現代的感覚だと六十谷は和歌山市内に編入され、ベッドタウン化しているが、当時の感覚なら、不便だったんだろうな/というか、阪和鉄道が六十谷に開通したのは昭和になってから
このように、戦前だと「県庁所在地から10キロ圏内」であっても、「通勤通学できない」として県庁近辺にじわじわと人口移動していったんだろうなあ。かくして、旧市街の人口は5万人から7万人、10万人と増えていく
自分は関西人かつ不動産屋だから「六十谷」「打出」「九度山」と言われても、「ああ、あの辺りか」と大体わかる/土地勘がない東京人が「紀ノ川」を読破するのは、大変だと思う
「紀ノ川」のラストは、ヒロインの旦那の活躍空しく、「大阪資本による臨海重工業に従属する和歌山」の姿/有吉佐和子は根っ子に「大阪に対する和歌山人の反感、ルサンチマン」があって、それが執筆動機になったんだろう
湾岸タワーマンションを舞台とした小説って、あるのか?/リアルを重視するタワマン族は、小説のようなフィクションを執筆しようとしないだろうし、小説家が湾岸タワーマンションに移住するとも思えない。湾岸タワマンは、このまま「文学不毛の地」に成り下がる?
そう考えると、「金妻」という文学の成立を許した田園調布線は、それなりに「文学的余裕がある空間」なんだろう
シンガポール事情は詳しくないが、シンガポールって「文学」「小説」が乏しいイメージがある。その辺、湾岸タワマンに通じる
文学の書き手が成立するには、1.時間的余裕、2.文学を許容する雰囲気、3.経済的余裕、4.文学的知識・語彙、5.書く「ネタ」、6.書く「情熱」の全てが必要
湾岸タワマンやシンガポールには、1.2.6.が不足している。経済的余裕はたっぷりあるのに。/2.と6.は、場合によっては相矛盾するケースもある。政治的独裁体制下では文学は弾圧されるが、弾圧されればされるほど、書く側のパッションはアップする。
湾岸は一方で、3.4.5.は豊富なのにね・・・/特に「湾岸を知らない野次馬的部外者」から見たら、湾岸ライフは興味津々で、ベストセラー間違いなしだが。
日本国内で小説の類は年間9000点発行されてるらしい。つまり、計算上、人口1〜2万人に1人の割合で「作家」は存在する(一年に1作品執筆と仮定)/計算上は湾岸タワマン内にも最低1人位は作家がいる計算になるが・・
マンションノートの書き込み数、マンションコミュニティ掲示板書き込み数は、湾岸タワマンの書き込み数は異常/湾岸住民は、ノンフィクション・評論的投稿には熱心だが、フィクション系には情熱なし/というか、やはり湾岸には「理系」が多い?
@Tokyo_of_Tokyo 是非、湾岸タワマン民の素顔の小説を、のらえもん先生に書いて頂きたく/ところで、やはりペンネームの通り、「ドラえもん」のファンでいらっしゃるのですか?
ホワイトアウト」の作家・真保裕一氏は、大のドラえもんファン。アニメ作家を志して専門学校に行ったが、作画能力がダメで、構成作家に転じた。「笑うせえるすまん」の構成は彼/作家デビュー後、念願が叶って、映画ドラえもんの脚本を手掛けてる
原武史によれば「団地は70年代SFの格好の舞台」だったそうだ。光瀬龍とか眉村卓は団地居住/ならば、湾岸タワマンを舞台としたSFがあってもよさそうなんだが、SFそのものが衰退してるからなあ
80年代SF少女マンガ「僕の地球を守って」も舞台は高層マンション。雰囲気的には公団団地じゃなく、多分三井辺りの分譲マンション
怪しい怪獣や怪盗は、都市と郊外の境界に出没する。江戸川乱歩は怪人20面祖を、当時としては「都会と郊外の境界だった」中野区辺りに出没させた/東映戦隊ヒーローは、石神井公園大泉学園に出没。都会と郊外の境界
@Tokyo_of_Tokyo テキトーに「新宿太郎」とでもつけようと思ったら、既に新宿太郎が取られてたので、次善策として新宿次郎にした自分。特にラーメン二郎とは関係ない
実際の怪盗も、都市と郊外の境界に出没。府中3億円犯人とか/江戸川乱歩「怪人20面相」の上を行くのが「かい人21面相」。高槻茨木摂津寝屋川・・・と、まさに「都市と郊外の境界」で活躍。
4月26日
昨日「戦前戦後の自転車の普及」をツイートしたが、農村部から牛馬がいなくなったのとシンクロ。自転車が普及したから荷駄運搬用の牛馬が不要になり、牛馬が戦争で徴用されたから,自転車を使わざるを得なかった
紀の川」読んでると、昭和初期の「普通選挙」と言うのは、それなりにインパクトあるイベントだったことが判る。日本も民主主義の仲間入りした、というある種の興奮、気概が感じられる
ここで言う「民主主義」とは、無産階級の代議士入りじゃなく、「地方代表」と言う意味。「紀の川」だと「和歌山県の代議士」/貴族院は「東京の華族・勅撰議員の府」、衆議院は「地方代表(地方名士)の府」
酒井美意子の自伝は「華族と東京の昭和史」、有吉佐和子紀の川は「地方名士と地方(和歌山)の昭和史」/財産や家宝の類は、両者大差ない。しかし「貴族院」と「衆議院」の差が付く
紀の川」の中で、主人公の夫が、田畑を売って「普通選挙の」衆議院選挙に打って出るシーンがある/当時の田畑の価格というのは、現在貨幣価値にしたら、かなり高額だったのか?/現代だとロードサイドでもない田畑は二束三文。まあ農業委員会がなかなか売買認めないが
というか。当時の田畑売買は、小作人がセットだったんだろうか?田畑売買は、同時に人身売買/選挙資金捻出できる位の広大な田畑は、多分一人では耕作しきれない。小作人がセットだったんだろう
主人公の夫が、和歌山市街に屋敷を買い求めるシーン。「県政のドンにふさわしい屋敷を買わなきゃ恥ずかしい」のセリフ/当時は「家格にふさわしい不動産」を買い求める風潮があった。家格がある場合、多少無理してでも屋敷を構えて維持しなきゃならない面倒な時代
戦前の不動産取引は「個人間売買」、仲介業者は存在しない。売り主買い主の互いの知り合いが無報酬で斡旋。あくまでも人脈に頼った取引で、結婚の仲人に近い感覚
人脈に頼った仲介だから、人脈ネットワークに入らなきゃ、屋敷も手に入らない/仲介成立可否も、売り主買い主のフィーリングが重要で、価格は二の次。カネを沢山持っていても、「家格が低い成金には、先祖伝来の屋敷は売り渡さない」なんて感じで、非経済的理由で取引不成立な場合も
不動産仲介業者は「千三つ屋」とか「あこぎな商売」「カネの亡者」と批判されがちだが、非合理的・非効率的、そして非民主的で封建的だった不動産取引を「近代化・民主化した」功績は多大だと思う。戦前の屋敷等の不動産取引を見る度にそう感じる
「紀ノ川」では、戦時疎開ではしなくも「外孫」ばかり集まった様子が掛かれている。/これは小説上の描写でも、有吉佐和子の個人的体験でもなく、日本全体トータルでも疎開には「妻の実家」に逃れるケースが多かったのでは?主人は戦地に行っているわけであり、主人の実家には疎開しづらい。
有吉佐和子は「戦時中に女系社会が復活した」と評した。/戦時疎開という異常社会のなせる業ではあるが、封建的戦前社会において「女系社会」が垣間見えたことは、戦後の男女同権社会への橋渡し的意味合いをなしたような気もする。
六十谷は、空襲もなく、田畑があって、でも和歌山市街そして大阪市街とも列車で結ばれている⇒戦中戦後の買い出し・闇コメとかで、相当「裕福」になったらしい。和歌山や大阪の「街の人」が、みな六十谷に買い出しに来た
和歌山城って、空襲で焼失したんだな。有吉佐和子は、それを和歌山の伝統保守の消失のように描く/その後「鉄筋コンクリートで再建」された様子も描写。それはつまり、和歌山が伝統保守をかなぐり捨てたことの象徴的描写となる。
捨てネタ1.ノモンハンの敗戦って、国内ではロクに報じられなかったんだな/2.戦時中の千人針に「五銭貨幣」を縫い付けたらしい。「四銭=死線を超える」
「紀ノ川」読了したが、六十谷を描写するなら、阪和電鉄の開業の経緯、開業による変化の描写があって然るべきだったと思うが、それがないんだよなあ・・
4月29日
小説「紀の川」で、明治中期時点で、紀州太陽暦が定着したことを主人公の夫(村長)が「こんな田舎にまで太陽暦が定着した(文明が定着した)」と喜ぶシーンがある/明治初期の三大一揆ネタは「義務教育反対」「徴兵反対」「太陽暦反対」だったらしい
民俗学的には「太陽暦切り替え」が社会に与えたストレスは、現代人からは想像もつかなかった激変だったんだろうなあ