地方企業同士の合併で本社が東京に移る愚

11月29日
肥後銀行鹿児島銀行が統合する、という話だが、「両行一緒」の記者会見は開けず、バラバラの記者会見だったらしい。一緒の記者会見だと、「その記者会見を、熊本で開くのか、かごしまで開くのか」が問題になるから

「両行同席の記者会見を、双方が納得する形で開く」ためには、熊本でも鹿児島でもない、第三の場所で開くことになる。具体的には東京で開くことに/そんな調子で、両行の持ち株会社も、熊本に立地しても鹿児島に立地しても、どっちもメンツ潰される。多分東京にホールディングの本社置かれる

このように、「地方県の代表企業同士」の合併だと、双方のメンツを立てるがために、結果として「東京に本社が流出する」というハメになる。関西本拠の大丸と名古屋本拠の松坂屋の合併企業が、なぜか東京に本社を構えたのと一緒。(Jフロントリテイリング)

「地方VS東京」の文脈で考えれば、熊本なり鹿児島が、メンツに固執せずに、本社機能をどっちかに寄せるという「英断」が必要。「双方のメンツをつぶさないように、消去法で東京本社移転」なんてことやってるから、ますます地方は疲弊する

@sonyfate @yumiharizuki12 @koli_san 明治初期は姫路が大都市で、姫路県もあった/姫路・播磨の豊かな経済力を収奪して、神戸を貿易港にしたい、ということで兵庫県編入/他の合併県はほとんど後程分離してるが、姫路県だけは再分離許されず

@yumiharizuki12 熊本の老人なんかは、「九州の雄都は福岡じゃなく熊本だ」と真顔で思ってますからね。実際、戦前までは九州最大都市は熊本でした。

@yumiharizuki12 戦前まで、多くの国の出先機関は熊本にあった。福岡じゃない。今風の言い方をすれば「地方中枢都市」は熊本だった/熊本は軍都故に激しい空襲に遭い、役所として使える建物が不足。相対的に空襲被害の少ない福岡に国の機関は順次移転し、中枢機能も移転

@yumiharizuki12 九州最大都市って、長崎⇒熊本⇒北九州⇒福岡って変遷してるんですよね

@yumiharizuki12 今でも農水省の九州事務所は、福岡じゃなく熊本にあった気がする/あと「旧制第五高校」が熊本にあったのも、その辺の理由なのかも

そもそも熊本と鹿児島って、西南戦争で迷惑をかけた間柄ですから、なかなか「和解」は難しいんじゃないかと思う。もう100年以上前の話であっても、古老ほど遺恨に感じている。

戦後、陸軍を失った熊本が没落し、上海航路を失った長崎も没落した/一方で、まずは筑豊炭田の玄関口である北九州が発展し、次いでサービス産業化で福岡が発展した

ちなみに、戦前の長崎は、市民意識としては「上海の隣町」という感覚だったらしい。港には大陸浪人が出入り/雲仙は、上海租界の欧米人の避暑地として開発された

歌手さだまさしのお父さんかおじいさんが、大陸に出入りする関係者だったらしい。なるほどなあ

戦前の陸軍将校って、今の大蔵省キャリア、いや財務省キャリアなんか比べものにならない位のウルトラエリートですから。つまり熊本はエリートが集まる権力都市だった訳です

戦前の陸軍都市というのは、大量の徴兵兵隊に糧食を提供する業者、砲弾や軍服軍靴を製造する業者、高級将校を接待する料亭、挙げ句は徴兵兵隊や高級将校に春を売る娼婦とかで賑わってた訳です。国民の大半が農民だったのだから、別世界

戦後、日本は朝鮮と満州を失った訳だが、朝鮮や満州で事業やってた日本人の相当数が、東京大阪じゃなく九州に居着いたんじゃないか、と思う。具体的には北九州や博多に居着いた/福岡県が九州一になった裏の理由はこれか?

旭化成とか日窒とか、朝鮮を失って、そのまま延岡とか水俣に居着いたからなあ

戦後の大蔵省キャリア、或いは大学医学部教授の権力を揶揄するドラマは多いから、彼らの権力の凄まじさを知る現代人は多い/大蔵省キャリアや大学医学部教授の権力が赤子並みに感じる位に陸軍将校の権力は絶大。でもこの権力闘争を描いたドラマはないんだな。だから現代人は将校の凄さを知らない

陸軍版の「ドラマ白い巨塔」、戦前にそのようなドラマが書けなかったのは判る。そんなことしたら投獄拷問は確実/でも昭和30年代辺