都市の専門家や行政は、
「日本の公園は少ない」として、拡充を目指している。
で、彼らが考える「役割」とはなにか?
1.緑地の確保、ヒートアイランド解消
2.防災の拠点、延焼の防止、救援活動の拠点
3.国民の健康増進の為のスポーツ場所の確保
4.幼児・児童の遊び場、教育の場
5.地域コミュニティーの中核の場
・・・などがあるだろう。
しかし、終戦後〜昭和40年代は、上記「1.〜5.」の役割は、
実は「後順位」の役割であった。
終戦後の公園の最大の役割は
「日本国憲法に基づく集会の自由・表現の自由を担保するための
活動の場」であった。
なので、日比谷公園・代々木公園・清水谷公園などは、戦後政治史において
重要な役回りを果たすのである。
別に朝鮮総連の日比谷公園使用許可問題について
どうこう言いたいのではない。
ただ、行政における現在の公園整備のコンセプトにおいて、
「政治的表現の場」という視点が完全に欠落していることが、
いかがなものか、と思うのである。
何も行政に限ったことではない。
Google先生に「公園の役割」というキーワードで検索しても、
「政治的表現の場を担保する場所」という開設の記事は、少なくとも
上位ヒットページには存在しない。
キーワードの「表現」や「憲法」を加えても、その傾向は変わらない。
ウィキペディアの「日比谷公園」の記述でも、
日比谷公園が日本の政治史に果した役割の記載はゼロである。
つまり、公園が日本国憲法上のアイテムである、という認識自体が
「過去の遺物」になってしまっている。
・・・それでいいのか?