電力会社が自然エネルギーに冷淡な理由(≒JRが夜行に冷淡な理由)

よく陰謀論者、もとい反原発団体が
「電力会社は自然エネルギーに冷淡だ。その理由は利権が云々・・・」とか
「その理由は核の軍事転用が云々・・・」と語ることがママある。

しかし、小生は、もっと話は「単純」なんじゃないか、と思う。

単に「図体がデカイから、チマチマしたことができない」だけなんじゃないか、と思う。

話を「電力会社内」というサラリーマン社会に置き換えて考えたらわかる。

電力会社、という組織において、「花形部署」は原発であり、火力発電である。
水力発電は平成になってから「日陰」の存在だし、いわんや自然エネルギーにおいておや、である。

となると、人間心理として、自然エネルギー担当部署に配属になった人間は
「日陰部署に飛ばされた」という被害妄想意識が働くのが「自然」というものである。

「早くこんな風力担当部門から脱出して、花形部門である原子力に戻りたい」と
思っても、何の不思議はない。

会社全体で見ても、そうである。
「日陰部門」というのは、どうしても会社としては「後回し」にするし、
人材だって「2流の人材」しか配属しない。
エース級の人材は原子力に投入する。

原発団体側(=自然エネルギー推進側)は、確かに一流大学出身の大学教授とか
ジャーナリストが運動の中心になっているから、
「電力会社内の自然エネルギー担当部署も、一線級の人材が配されている」と
思い込んでいるのだろうが、実際には違う。
いや、入社時は一線級だったのかもしれないが、電力社内の出世競争で「二流」と烙印を押され、
被害者意識過剰になっている人物が配されている、と言い直した方がいいかも。

別の喩え話をすると、旧国鉄時代に、大阪地区は必ず「首都圏のお古」の電車が回ってきた。
これは旧国鉄車内で「花形」なのは首都圏であり、大阪は「日陰の存在」だったからである。
なので、最新鋭車は必ず首都圏から導入されるし、出世競争の「最終ゴール」は
東京駅前の日本国有鉄道本社の総裁イスであったわけである。

一方の関西私鉄側は「一流の電車」が配されていたのだから、関西の鉄道利用者からすれば
「なんで関西の国鉄は冷遇されているの?」という疑問を抱くのである。
・・・これは自然エネルギー関係者が「なぜ自然エネルギーは冷遇されているの?」と
違和感を感じるのと同じハナシ。

ところで、
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20090316/p1
に面白いネタがある。

>JR各社が夜行寝台列車に不熱心だった理由はいくつかある。

>新幹線や航空機の台頭により、移動手段としての優位性を失った。
>JR4社に跨り、調整が面倒。
>夜行列車以外の客車列車が廃止され、夜行寝台のためだけに電気機関車を抱え、
>機関士を養成するコストが割に合わない。
選択と集中

>私は、「選択と集中」によるものが大きいと考えている。
>前の3つは、いくらでもカバーできる要因に過ぎない。
>つまり同じ努力をするなら、各社とも新幹線や都市圏での増収策を講じた方がはるかに
>増収余地があるからである。確かに、夜行列車を採算ラインに乗せることは可能だが、
>得られる利益はほんの僅かであろう。僅かな利益のために経営資源は使わない。
>黒字の事業でも止めることがあるのが「選択と集中」の考え方であるから。

つまり、夜行列車テコ入れの為にJR東海の大卒社員10人分の給与を負担して
活性化プロジェクトを企画しても、
「確かに黒字にはなるが」、
「その10人を新幹線活性化とかリニアプロジェクトに投入した方が、
 よりJR東海の利益になるよね」と考えるのが大企業の思考パターンなのである。

「人件費1人当り1,000万円程度の利益だったら面倒臭い、
 せめて1億円は稼げないと・・・」と大企業は考える。

一方、ベンチャー企業とか市民団体は「1,000万円の利益を落ち葉拾いする」ことに
意義がある、と感じている。
どだい、価値観が違うのだ。

夜行列車について言えば、図体がでかいJR東海じゃなく、小回りが効くJR貨物が手掛ければ
事業化の可能性があるだろうし、自然エネルギーについて言えば、
図体がでかい九電力にさせるのは「どだい無理」であり、ベンチャーが手掛けるのが
一番「自然」である。
そして、国(経産省)は、ベンチャーの参入が活性化されるような「お膳立て」を整えてあげれば
いいのである。