読書ノート・大阪本3

【大阪まちづくり】
枚方・守口=東海道の「第56次」「第57次」の宿場町
★一時大阪は世界第六位の都市だった
★1982シンフォニーホール(国内初のクラシック専用ホール)
 その後の福島〜北梅田界隈の開発導火線(新梅田シティなど)
★富田林・岸和田・久宝寺枚方宿で伝統的街並み保存の動き
★今の大阪の街作り:大半が「1980年代に構想されたもの」
 新しい構想が出てこない
★10年かけて街を作る・・・あまりに遅すぎる
 3年で展開して5年で見直すべき
市街地再開発事業計画
 1990年代に50箇所は府内にあった
 ⇒今でも動いているのは5分の1程度
 殆どが挫折
★御堂筋:沿道地権者が受益者負担で一部工費を賄う
★5大私鉄総延長
 1930=606.3Km
 2001=656.8Km
 あまり大差なし
 戦後の関西私鉄は、新線建設でなくバス便の深耕化で沿線開発
藤井寺球場跡地:四天王寺学園が小学校開校
高島屋三越の食堂=お見合いに使われる「ハレ」の場
 阪急の食堂=庶民性
★西阪神ビル(ホテル阪神
 1967完成 当時は関西一の高層ビル
 大阪で初めて特定街区指定
茶屋町:戦災の焼け残り
★南海:ホテルをスイスホテルにしてしまって、「南海村」色薄い
近鉄:なんばで後発、しかも地下⇒殆ど存在感なし
★日本初の地下街:1962のメイチカ
 同年にナンナン出来る
★ビルと地下街の接続:現在は防災上、サンクンガーデン設置義務付け
★御堂筋の高さ制限緩和:一旦は「4m後退すれば高さ50m」
 ⇒いつのまにか都市再生特区で100m超え可能に
★大阪の「新スポット」:盛衰激しい
 アメリカ村、鰻谷、南船場4丁目、南堀江、北堀江、中崎町、福島
★ビルと道路の立体化
 本来、1989の立体道路制度が出来ないと実現できない
 ⇒大阪では既に実現
 (船場センタービル、朝日新聞ビル)
★住銀本店南側(魚の棚筋
 マスタープランや行政誘導なしに自然発生的に公開空地が連担
★梅田一極集中:東京一極集中と相関
 梅田なら神戸も京都も所管できる
★ミナミ:業務核⇒観光核へ脱皮
★欧米の都市再開発:解体を伴うのは稀 主にコンバージョンが中心
★大阪の商社「五綿六社」
★街並み保存の動き:女性誌の「小京都ブーム」、旧国鉄の「ディスカバージャパン」が後押し
★千里NT地域:人口ピークは1975
 その後NT地域人口は減少、外周部増加(グレーター千里の発展)
★千里NTの「近隣センター」後継者難と老朽化、バリアフリー対応遅れ
★2005年千里中央コンペ
 住商案が当選:商住のバランスがいい
 他案は住戸多すぎたり、商業が多すぎた
★千里:高度利用するエリアを定め(千里中央)、他は極力今の緑被率を維持
★1984大阪駅前ビル店主が営業不振訴えデモ
大阪市庁舎:当初は25階建の予定⇒反対運動で8階建てに
★そごう・大丸:「長堀21世紀計画の会」で東西方向の地下鉄誘致運動
大阪市建設局の役人「長堀って大阪市内ですか?」
 長堀の知名度はそんな程度だった
★JR尼崎駅北開発:当初行政案に住民反発⇒立命館大の仲介で軌道修正
★平野郷:江戸期の碁盤目町割りが空襲に遭わず残る  
★平野のまちづくり原則「いいかげんにやる」根詰めてやらない。(息切れしてしまう)
大阪城南側 空掘地区
 戦災に遭わず街並み残る
★空掘長屋のテナントショップ化⇒テナント側にもセルフビルドしてもらう
★庶民が住宅にガラスが使えるようになったのは昭和10年頃から
★再生長屋ショップ「惣」
 古長屋に憧れ開店希望者多いが、ショップと客層マッチせずに、うまく行かず退店するケースも。
 ⇒退居できるだけ避けるべく、「トライアル」で一日貸店舗
 空掘の客層とショップの方向性がマッチしているか確かめられる。
★空掘:直木三十五ゆかりの地
登録文化財:築50年だけで資格あり
 指定文化財=改築困難
 登録文化財=中を自由にいじれる
★欧米では登録文化財多い
阿倍野永谷コンバージョン
 飲食店に用途変更・・・取り壊して賃マン化するより手取りは倍になる計算
 賃マンは収入多いが借金利払いも多い、かつ固都税が新築でアップする
大阪市の区制の弱点:実態と関係なく区境分けられている。
 市議の選挙区は区単位⇒区毎の利益誘導
中之島〜御堂筋 素材はいいが、観光の目玉になりづらい
 ⇒都心に観光目玉欲しい
★花による景観演出:費用対効果が極めて高い
 作用町の名物ヒマワリ:少ない費用で観光名所化
都心部のビル付置駐車場
 ・・・各ビル毎の設置より、費用をプールして共同駐車場作る方が効率的・合理的
★駅前オフィスとやや駅から離れたオフィス・・・いずれも同じ駐車場付置義務率なのは非合理的
★大正時代まで2府4県の人口は1都3県を上回っていた
★A)ビジネスセンターの強化=域外市場産業の強化
 B)野田、福島、阿倍野、十三、鶴橋のような「生活センター」の強化(住民のQOLを上げる)
 A)の「グローバル競争のための都市強化」とB)の「住民のQOLのための都市強化」は
 分けて考えるべし
 A)ばかり強化しても住みにくくなる(今の東京)
山崎正和
 「大阪文化は万博の成功体験を卒業しないと再生しない」
★「創造都市」の成功例=モントリオール
 「ケベック文化の振興」として「シルク・ド・ソレイユ」に助成して成功
★天満〜扇町中崎町南森町
 広告・出版・放送・IT系が集積 いわゆる「クリエイター」が約2万人
★大阪:都市再開発「業界」に多くの人材を送り込んできた
 東京で活躍する都市専門家も関西系多い
★市街地改造事業法:大阪市建設省の協議で出来た法律
 (後の都市再開発法
第二種市街地再開発事業も大阪発案(阿倍野再開発)
★特定建築者制度も大阪発案
★第二種市街地再開発:阪神大震災後の復興に多用
★再開発の問題点:竣工までは事業関係者が骨折り
 ⇒竣工した途端に人がいなくなる
 役所側も「異動」でノウハウ・体験談が逸失
★市担当者:再開発ビルに空きが出ても、それを「問題」と感じ取るセンスがない。他人事扱い
★国が「市担当者」に「再開発ビルに問題がないかどうか」アンケート
 ⇒「問題あり」の回答、わずか2割
 ※現実は8割に空き発生
★再開発ビル店舗:外側に店舗作れば、既存商店との連担が出来て賑やかになる
★フランス:再開発制度・・・景観を壊すとして廃止
阿倍野再開発:あまりにも大規模ゆえ、予算やスタッフがここに取られてしまう
 ⇒大阪市他エリアの再開発が遅くなった
水上バス:淀川リバーサイドを開発した公団から提案
★戦前長屋(空襲の生き残り):京町家に並ぶ価値
★「まちづくり」:1970名古屋・栄再開発で布団屋のオヤジが何気なく使った言葉
 ⇒瞬く間に都市のキーワードに
★1969の喫茶店「ループ」
 ここをキーにアメリカ村できる
★コーポらティブハウス:1977から谷町でスタート
 ⇒一地域に20棟200戸が集中(ドミナント立地)
 ⇒集会場を持てるようになる
★大阪:いまだに「まちづくり条例」がない
大阪駅前再開発:不法占拠地
 本来なら市街地再開発法でも100%収容できない
 ⇒不法占拠者に「営業権」、地権者に床所有権を認めさせて解決
★今の再開発ビル:業種毎にゾーニング
 大阪駅前ビル:権利者が自由に希望する⇒業種毎ゾーニングなされず
大阪駅前ビルの功罪
 功=周囲に再開発の機運を盛り上げた
 (DTタワー、ヒルトンプラザ)
 罪=区分所有方式⇒後々に問題化
大阪駅前ビル開発で浮かんだ問題点:第二種市街地再開発制度に盛りこまれる
★センイシティ:防災建築街区造成法と土地区画整理事業の同時施行
茶屋町:細街路で自主的に壁面後退してケヤキ並木作る(ちゃやまちプロムナード)
阿倍野再開発:総事業費なんと6,800億円
 規模があまりにでかくて身動きとれず
 バブル期に仕込んだ土地の金利負担↑
 一方で保留床価格↓の逆ザヤ
 工区を小分けにして施行しておけば、ここまで逆ザヤ産まれずに、事業進展していたはず
阿倍野再開発:バブル崩壊で低い利用へ計画変更
 一方、近鉄開発は日本一のビル
 (デベの強い意志が背景)
★土地信託事業:収益少なくても信託銀行は報酬貰える仕組み
★信託銀行:不動産取引はプロだが、施設運営管理のプロではなかった
 (当時はAM・PMの概念なかった)
OBP:実は容積率400%しかない
★上六:1946戦災復興計画では、なんと「公園緑地」に指定される
★上六の不法占拠人:地主に対して借地借家契約
 ⇒火災滅失だと消滅してしまう⇒火の用心の見回りへ
 ⇒店舗同士のコミュニティーが強固に
★上六:1974公園指定解除、再開発へ
★上六再開発:元々大規模商業の予定⇒オイルショックで頓挫
 代わりに住宅公団が参加 287戸の住宅(都心居住のさきがけ)
★天満市場:もとは東洋紡工場跡地
 1973に大火 ⇒今のぷららてんま
MBS本社:もとは阪急百貨店流通センター
★全国の中心市街地の商店:経営者の4割は60歳以上
中心市街地活性化法のキモ、TMO(タウンマネジメントオーガニゼーション)
 大半のTMOは専門スタッフがいない(商工会議所職員が兼務)
 TMOできる人材の不足
高松市丸亀の再開発:定借を活用
★全国で一番「訪問者」が伸びているのが大阪
★外人:先入観ないので、大阪のたこ焼き以外の食材を評価
★大阪:海外からの修学旅行受け入れ率日本一
 中韓で海外修学旅行をするような高校生:学力も経済力もレベル高い
 ・・・それ相応レベルの日本の高校と交流したいが、他都県の高校は受験一色で交流嫌がる
 その点、大阪の校長先生は理解している
遠野市:ネットで助産士確保して妊婦を遠隔診断
伊藤滋「3階建程度の集合住宅が高齢者には理想」
 3階なら通りの通行人の様子も窓越しに見える
 ⇒「街と繋がっている」と精神的満足得られる