【9/5⇒10/6 五島慶太と地理教科書】

9月20日
五島慶太の伝記読んでるが、東急の田園都市開発は、都市工学的にも凄い事業。/自分が中学高校時代の地理教科書には、千里、泉北、高蔵寺ニュータウンの紹介があった。首都圏では多摩、港北、千葉ニュータウンの紹介。地理教科書に東急田園都市計画は載ってなかった
★なぜ、30年前の地理教科書は、官製ニュータウンばかり取り上げて、民間によるニュータウン開発は取り上げなかったのか?千葉ニュー取り上げる位なら、東急田園都市計画の方が、遥かに取り上げる価値がある/当時の都市計画学会は「ニュータウンは公がすべき、東急は邪道」が多数意見だった?
★首都圏に住んでる人間なら、「田園都市は東急が手掛けた民間最大開発」と知ってるが、地方人は意外とその事実を知らないんじゃないか、と思う。何故なら学校で習ってないから/自分もその事実を知ったのは大学に上京してからだった
★東急田園都市計画然り、マンション分譲事業然り、そろそろ「民間による不動産開発」を「都市計画の中心」として正当に評価して、地理教科書に盛り込むべきでは?
★第一、自分が中学高校で地理を習った自分は、「日本の人口はまだまだ増える」「東京はまだまだ家が足りない」とされ、住宅都市整備公団による住宅供給に大義名分があった時代。だから地理の授業でニュータウンを教える必要があった
コンパクトシティが叫ばれる現代だと、地理教科書の記述も変わってるんだろうなあ
三浦展の本に載ってたネタ。田園調布の成り立ちに関する著作・研究は数多いが、成城に関する著作・研究が少なかった為、三浦氏が第三山手住宅地の著者書く際に、成城では苦労したらしい。「学校としての成城学園アーカイブ」ばかりで、「住宅開発としての成城のアーカイブ」が僅少
★元々成城学園(学校)を作る費用を捻出するための住宅開発であり、ド素人による開発。だから本人の回想録も、学校に関するものばかりで、住宅開発に関する回想が皆無。住宅開発についてアーカイブを残す必然性を感じなかったんだろう
★今の不動産関係者は、住宅開発のエピソードについてのアーカイブ性の意識が希薄。だから地理の教科書にも載せて貰えない。このままでは第二第三の成城学園が出てしまう
9月23日
五島慶太の本にあったが、戦後北海道の国鉄特殊法人化して、東急が資本参加する構想があったらしい。仮に実現してたら今頃JR北海道東急グループ企業で、レール整備不良などの情けない事象は起きなかった?
五島慶太は晩年、北海道鉄道特殊法人構想に対応すべく、狂ったように北海道のバス会社やじょうてつを買収する。/一方、息子の五島昇は北海道進出に批判的。慶太の死後、東急は北海道に感心示さなくなり、北海道国鉄民営化構想も消滅した
東急グループのDNAには、「グループの拡大・集権化」を目指す慶太のDNAと、「グループ子会社の独立・分散」を促す昇のDNAが併存し、振り子のように揺れ動く。10月に東急不がリバブル・コミュニティと持株会社統合するのは、慶太的DNAが作用した?
★自分も不勉強だったが、東映って慶太の時代は東急グループだったんだな。東宝が今でも阪急グループにいるようなものか。/その東映東急グループ外に出したのが五島昇。
★かつて東映は「ハイラークシリーズ」と言うマンション分譲してた。「何故映画会社がマンション?」と疑問に思ったが、東急グループ企業だったと聞けば納得
★今の東映って、戦隊モノの子供向け映画会社のイメージ。大人向け映画、作ってるの?
東映って、テレビ朝日の大株主だったっけ?/因みに旺文社もテレビ朝日の大株主。「日本教育テレビ、NET」時代の名残/阪急東宝関西テレビの大株主。たまに宝塚歌劇を中継する
★正力と五島慶太は同窓同期で、故に読売と東急は親しかったらしい。ジャイアンツが多摩川近辺を根城にしてるのは、その影響か?/長嶋が田園調布に住んでたことは、田園調布にとって格好の宣伝材料。長嶋により田園調布は全国区邸宅街になった
★長嶋が田園調布に住んだのは、勿論ジャイアンツ球場に近い等の「地の利」もあったんだろうが、正力・五島から「長嶋クン、五島さんの作った田園調布に、住んでみないかね?」的なサジェスションがあったのでは?