一行ネタ

★「勉強する」が「学習」の意味になったのは明治以降
 江戸時代の意味は「無理をする」「値下げする」

★「立身」は役の向上、武士の目標。
 「出世」は財を成す、町人の目標。
 つまり「立身出世」は言葉として両立しない

★「流行歌」というカテゴリは1910年代に始まり、1970年代に終わった。
 楽譜という「共通言語」の普及が流行歌を生み出した。

春分秋分の日は国立天文台の暦計算室が計算、官報で公表。

終戦後でも農村部の4割は旧正月の習慣が残ってた。
 (太陰暦が風習として残っていた)

太陽暦は「毛唐の習慣」と大不評だった。
 「晦日に月が出る」という言葉が太陰暦時代はあった。
 「あり得ないこと」の喩えだが、太陽暦で「あり得ること」になってしまい、
 言葉自体が死語になった。

福沢諭吉太陽暦解説書(その意義など)を書いて、大ヒットした。

★政府が太陽暦導入を急いだ主因は「公務員への月給削減」(閏月の排除)だが、
 副要因として「文明国の証」として太陽暦を導入して、不平等条約を解消したかったから。

★一高の方が東京帝国大学より難しかった

旧制高校卒業者は、学年の1%未満しか存在しなかった。


★明治40頃から旧制高校受験の予備校できる。(「受験産業」の成立)
 私立大学が予備校を経営。明治・法政・中央大学など。

★地方の学生はバイトしながら東京の予備校に通って旧制高校合格を目指した。
 所謂「苦学生

★東京以外には「受験産業」が存在しなかったから、旧制高校を目指すには東京に行くしかなかった。
 当時の東京の苦学生は、現代の海外留学より大変だった。
 ・・・しかし、結局東京で遊んでしまう学生も多かった。

★1897の尋常小学校進学率は、男子は8割に達した。高等小学校進学率は6割。
 10万人が中学校進学したが、うち半分は経済的理由で退学。

★戦前の受験界には「偏差値」という概念は無かった。
 戦後、高度成長期の「受験戦争」の際に「偏差値」というデータ主義が登場した。

★今の池袋清掃工場は、かつて「池袋マンモスプール」と呼ばれ、80年代はアイドル水泳大会のメッカだった。

★明治時代、山手線が目白で東へ分岐せずに、池袋で分岐したのは、
 「目白の住民が分岐駅設置に反対したから」の説が有力だが、
 実は「目白で分岐すると、巣鴨監獄敷地を通ってしまうのでマズイ」という理由もあるらしい。
 (当時としては最新鋭の監獄だった)

 また、分岐駅となると操車場とかヤードを広く設置する必要があるが、
 傾斜地である目白だと、そのような広い土地を確保できなかった、池袋だと確保できた、
 という事情もあるようだ。

消費者運動が高齢化している。
 もともと「主婦のための運動」で、専業主婦を前提とした活動になっていて、
 共働きの時代にそぐわない、という問題もあったようだ。
 (平日に活動日を設定されても、動けない)

 消費者運動も弱体化し、国の審議委員にメンバー送り込めなかったりしてるようだ。