出生率2.07はとんでもなく高いハードル

5月29日
東進ハイスクール」「四谷大塚」の長瀬社長が、日経に意見広告出していて、爆笑した。いわく「子ども手当1,000万円出して、2050年には人口2億人の日本に」。あまりにもポジショントークがキツ過ぎる
詳しくはあとで計算詳述するが、子ども手当を1,000万円にしようが、1億円にしようが、出生率は1.41⇒1.8程度までしか上昇できないから。人口置換水準の2.07にするのは不可能
出生率1.41」というのは、なんとなく「一人の女性が、万遍なく1.41人の子供を持ってる」イメージ与えるが、これは間違い。/仮に100人女性がいたとして、うち37人は一生子供がいない。一方で63人の女性には子供がいて、子供数の総合計は140人。そういうこと。
生涯無子率、というデータがあって、女性の場合は0.37。つまり100人のうち37人は一生子供がいない。その原因は「独身」「子供嫌い」「不妊」.
逆に言えば、子供がいる63人は、総合計141人の子供がいるのだから、子供の平均数は2.23人。実は子持ちファミリーの平均子供数は、2を超えているのだが、この事実は殆ど知られていない
出生率を人口置換水準の2.07にする、ということは、先述の「女性だらけ100人の村」の子供の数を、141人⇒207人にすること。つまり66人の赤ちゃんを追加する必要ある。
よく「既に子供を持っている女性に追加で1人産ませる方が、子供ゼロの女性に1人産ませるより、ハードルが低い」と言われる。ではこの女性100人村で、経産婦63人に「総計66人、追加出産して下さい」とお願いできるか?既に平均2.23人の子供がいるのに。
経産婦63人のうち、出産時年齢が35歳以上の高齢出産は5人に1人。つまり63人のうち12人。この12人に追加出産を依頼するのは、医学的に無理だろう。だから医学的にお願い可能な経産婦は51人しかいない。/よって、66人の赤ちゃんのうち15人は「経産婦以外」に産んでもらう必要あり
つまり、100人の女性村で、経産婦51人、未産婦15人にプラス1人の出産をお願い出来て、初めて出生率2.07が達成できる。/この場合、子あり女性は総計78人になり、トータル207人の子供。平均出産数2.65。3人子持ちが多数派の世界.
しかし、もともとの子無し女性37人のうち、16人は不妊原因と言われている。(夫婦の6組に1組は不妊)。なので、妊娠能力ある子無し女性は、実は100人村の中で21人。この21人の中から、新たに15人が結婚出産してもらわないといけない。
つまり「イケメンがあらわれなければ、そもそも結婚しない」とか「子供大嫌い」とか「出産は痛くてイヤだ」とか「子育ての自信がない」・・・というもろもろもろの「子供を作らない理由」を突破して、21人のうち15人に出産してもらわなければならない。無理ゲー
5月30日
こんな数字のお遊びに付き合わない方がいい。タワマン建築盛んな豊島区は、タワマン建築不可能な目黒区より、ファミリー人口受け入れ余地がある / “「消滅」指摘の豊島区が対策組織 NHKニュース” http://htn.to/Hvf54s
目黒区あたり、出生率が1.0そこそこだが、これは100人の女性村理論だと「子供がいる女性が50人、いない女性が50人で、子供がいる女性の子供総数は100人」の世界。目黒区辺りでも、子持ちの子供数平均は2程度ある
特殊出生率を1.41→2.07に引き上げるには、平均初産年齢を今の30歳から25歳に大幅に引き下げないと医学的に不可能。つまり、平均結婚年齢は24歳以前にしなければならない
ステレオタイプ的に書けば、現状は「28辺りで結婚して、30歳辺りで第一子を出産して、35歳辺りで第二子を出産」が標準。第三子出産は、医学的に難しい/プラス一人の出産の為には、結婚出産スケジュールを5年程度前倒ししなければならない
「だから、24歳迄に結婚するように、女性は4大進学を諦めるべきだ」と書けばフェミニストに殺される。しかし無理やり出生率2.07にしようと思ったら、「医学的理由で」そういう結論になる/大学進学を勧める立場の東進ハイスクール社長が、女性の4大進学に水を差す発言してる、だから爆笑モノ
あるとしたら「4大に入って、大学3年辺りで妊娠し、大学4年で出産し、子供を大学内保育園に預けたママで就活し、社会人に子持ちでデビュー」/しかしこのスケジュール、少し狂ったら、つわりや臨月の状態で会社訪問、就活するハメになる
安全サイドで見たら、大学1年2年辺りで妊娠を「済ませて」、大学3年迄に「出産を済ませ」なければ、就活に差し障りがある
@tarepandism 堺屋太一の持論だったと思う
人口統計で「第一子出産年齢統計」は存在するが、「最終子出産年齢統計」は存在しない/最終子出産年齢が平均33歳程度なら、「追加でもう1子」の出産も可能だが、平均37歳程度だと、「追加でもう1子」は生殖医学的に難しい
出生率1.41を2.07に引き戻すには、「女子の4年制大学進学率を一桁にまで引き下げる」か「大学在学中、ないし入学前の妊娠出産をポピュラーにする」という論理的帰結になるのだが、そういう論理を理解できる人は少ない
まあ、女子の大学進学率も地域差が相当あるからね。トカイイシキタカイ民エリアだと限りなく100%に近いし、マイルドヤンキーエリアだと20%もないだろう/この差がストレートに出生率格差になってるのは公然の秘密
5月31日
「実は子持ち家族の平均子供数は2以上」「出生率2.07は初婚年齢を5歳前倒ししないと達成不可能」ツイートは、予想以上のRTをいただいた/ロジカルに「生涯無子率」や「高齢出産率」「不妊比率」「第一子出産年齢」「初婚年齢」などの数値データを積み上げたらカンタンに判る結論なんだが
その辺の一般人が思い付きで「出生率が2.07になればいいのに」とツイートするのは、まあ仕方ない/しかしいわゆる「識者」「オピニオンリーダー」と言われる人々が、こういう積み上げ作業をせずに安易に「出生率2.07を!」と叫ぶのは何とかならんか?ましてや、政府の委員会で発言したりする
多分「出生率2.07社会における、平均的女性の結婚出産ライフスケジュール」を、「識者」は誰もシミュレーションしたことないんだろうなあ
出生率2.07社会達成の一番の近道は、子供手当拡充でもライフスタイルの押し付けでもなく、「不妊の根絶」と「出産限界年齢の大幅引き上げ」じゃないか?案外、「冷凍卵子バンク」普及が、出生率2.07回復の特効薬だったりする
多分、「政府が保育園に1000億円投入」した場合の出生率上昇幅より「政府が冷凍卵子バンクに1000億円投入」した場合の出生率上昇幅の方が高い
@boreford 子宮力・・・語感が凄い/生殖医学的には、「子宮力」より「卵子力」の方が問題。クローズアップ現代は「卵子老化」と凄まじいタイトルで、不妊原因の可視化に成功
「子宮力を高める!」のページ見たが、ニセ科学の匂い満載。子宮を冷やさないようにしましょう云々
不妊の原因は大きく分けて2つ。精子卵子原因でそもそも受精しないケースと、着床しなかったり流産しやすい「不育症」/不育症に「子宮の冷え」が関係してるのか?
@boreford NHKが1985に放送した「The Day その日」という近未来予測番組では、「日本もアメリカのハイスクールみたいに、高校生が妊娠出産しまくる社会になる」と大胆予測してた/そんな番組を当時は作っていたのだから、1985時点では誰も少子化社会を読めなかった
日本社会が少子化を意識したのは、1990年の「1.57ショック」が最初だからな/私見だが、1.57ショックで「今後の日本は縮小する」と直感したことが、バブル崩壊に繋がった
@boreford フジ三太郎シルバーシート導入を揶揄したマンガがあった。「近未来、シルバーシートに多くの年寄りがたむろし(座り切れない)、普通の座席に少数の若者がゆったり座ってる」/サトウサンペイは70年代に、早くも少子高齢化を予測
小学校低学年時代、自分は「フジ三太郎」でニュースを学んだ気がする/大手新聞の4コママンガって、「将来の読者の獲得ツール」なんだろうなあ
こう言ったら失礼ですが、サトウサンペイや藤子先生「ですら」少子高齢化を予想できたのだから、当時のプロの人口学者が予想出来なかった筈がない/あくまで仮説だが、当時も若手の人口学者は少子高齢化を正しく予想してたのでは?
ところが、若手の人口学者が「このままでは、日本は少子高齢化しますよ」と警鐘鳴らそうとしたら、「人口学者の大御所」が、「そんな筈はない、日本の最大の問題は人口爆発だ、キミは何も分かっとらん」と若手の警鐘を潰していたのでは?
で、そういう「大御所のセンセイ」であればあるほど、政府の審議会に出入りしてる。かくして、日本政府は1990まで、人口抑制を前提にした政策が展開された
(そもそも人口学に大御所いない説もあるが)80年代の人口学大御所が人口抑制を唱え続けたのは、「原体験が冷静な判断の眼を狂わせた」側面も大きかったのでは?/当時の「若手学者」は戦後生まれの団塊世代だが、「大御所」は大正〜昭和一桁生まれ
戦中戦後の食糧難は、「若手研究者」にとっては生まれる前の話/しかし「大御所」にとっては、10代20代に食糧難に遭遇。かつ戦争体験が強烈/彼らは「日本の人口爆発が戦争の一因」との強い思い(思い込み)がある
極端に言えば、大御所の世代は「人口爆発のせいで、日本は戦争に追い込まれ、自分たちも戦争に駆り出された」の被害者意識を強烈に持っている。だから人口増加を容認することは、自分の戦争体験の追認を迫られることになり、感情的に受け入れられない
もっと言えば、80年代の権力者、厚生省の局長クラスとか、自民党族議員とかは、大概は「大正〜昭和一桁生まれ」が80年代は主力だった訳で、彼らは「人口増加容認政策」に180度転換することは原体験的に不可能だった訳です
逆に言えば、90年代に入って、「人口抑制なんてトンデモない、出生率向上こそ急務の課題だ」と世論がコペルニクス的転換を果たしたのは、多分に「支配者層が、徐々に戦前派から戦後派に入れ替わり、人口増加にアレルギーを示さなくなった」という理由も大きい
もっと言えば、70〜80年代は「左翼」がもっとも強かった時代だからなあ。人口増加容認政策への転換は、「徴兵要員確保の為か、産めよ増やせよか?」と猛批判を浴びるのが必至だったから、政治的に不可能だった
90年代に入って、人口増加容認政策に転換できたのは、「支配者の年代が戦後派に入れ替わった」のと同時に「ソ連崩壊で社共勢力が衰退したから」と言う理由も大きい