行政は『書類作成が苦手な人』を無視している★

2月27日
世の中には、なぜか「書類作成が苦手」という社会人がいる。お客さんとの契約書類とか、社内の決裁・伺、はては「個人交通費の建替払」のような書類ですら、記載漏れや添付書類不足を起こすような人。でも、そういう人が、営業スキルはピカイチだったりする

不動産系というより、注文住宅系に「書類作成が苦手」的な人が多い。自分の知ってる人でも、契約書とか資金計画書の作成は全然ダメで、でも営業スキルがピカイチで歩合1,700万円稼いでいる注文住宅営業マンがいた。

自分はよくその人から、強引に資金計算書作成の下請けを命じられたりした。で、仕上げたらステーキ2人前(1人前ではない)を半強制的に奢ってくれたのであった。

いわゆる経理部とか総務部とかの人間からしたら、『なんでこんなカンタンな書類1枚も、作れないのか?』な低レベルだったりする。でも不思議とそういう人でも契約が取れたりする。/『書類作成能力がある人』と『ない人』では、たぶん人間の種類が違っている

役所というのは『書類作成スキルがマトモな人』ばかりが集まっている場所。役所の人間は、世の中に『書類作成能力が欠如している市民が、少なからず存在している』という事実を、全く覚知していない。

役所担当者は、『99%の市民は、書類作成スキルを持っているだろう』な前提で、各種行政を組み立てる。マトモに対行政の書類を作れない市民が割といるということを、行政は意識せずに、行政サービスの手続きに書類作成を組み込んでしまう

皮肉なことに、行政による弱者向けサービスほど、不正受給対策のために書類が煩瑣になる。で、弱者向けサービスを必要としている層ほど、書類作成スキルが低い。

世の中には「行政書士」という職業があるが、行政書士も相手にしないレベルのカンタンな書類、例えば児童手当の申請手続き書類なんかですら、マトモに書けない市民なんてのもいたりする。だから行政書士ではこういう弱者は救えない。

なにが言いたいか?と言えば、1.行政は市民とくに弱者市民の『書類作成スキルの低さ』を正しく計測把握すべきである、2.行政は可能な限りにおいて、要求書類数を減らすように行政サービス手続きを設計すべきである

3月1日
先日の「役所は市民の書類作成スキルの低さを無視している、行政書士マターじゃない初歩的書類ですら書けない人も多い」ツイートに対して、「行政書士はなんでも対処するが、むしろ行政書士の存在そのものが弱者に認知されてない」とのRT。啓蒙工学の難しさを感じる

だから、弱者福祉って、「役所に来てください」「書類書いてください」な待ちの姿勢の行政じゃなく、「何かありませんか?」とこちらから出向いていく「攻めの福祉行政」に転換すべきなんだろうな

例えば「民生委員」とか「ケアマネージャー」とか、弱者のための各種スタッフ制度は、「必要としている弱者」が「どれだけ彼らの存在を認知している」のか、疑問/冗談抜きで、世帯年収200万円未満の人に「民生委員って、知ってますか?」と聞き取りアンケートすべき

実際、ウチの妻なんか、「民生委員って、そんな職業(?)があるんだ、知らなかった」と言ってるもんな。一般人でも、実は民生委員制度の存在知らない人が3〜4割いそうな気がする

義務教育の過程で、『生活保護の仕組み』『民生委員の役割』『行政書士について』など、『弱者に転落した際の、生存ライフハック教育』をすべきじゃないかと思う。

生活保護なんかだと、一説には「行政は極力、制度を使わせないようにブロックしている」と揶揄されているが、「行政が用意した弱者向け制度が、アピール不足等で全く弱者に周知されてなく」て、「行政が利用率向上に躍起」という弱者向け制度は、実は結構多い。

行政が用意した弱者向け制度の利用率が低迷していると、ぶっちゃけ、「次年度以降、予算打ち切り」になっちゃうから、役所側もメンツにかけて利用率向上のために啓発にいそしむんだよな。なんか倒錯した話。

で、有識者会議なんかが「なぜ、●●という制度の利用率は低いのか?」と雁首揃えて議論するんだが、「社会弱者が、その制度を知らない」「案内を見ても、自分に関係していると思わない」「手続きがややこしくて、申請を挫折する」みたいなプリミティブなハードルが高いということに、気づいてない

弱者に転落した場合の行政利用テクニック教育、いちいち教育するより「共産党に聞きなさい」「公明党に聞きなさい」と教えた方が一発だったりする

共産党公明党の地方議員は、その意味では下手な行政書士よりは機能している訳だ/民主党がダメダメなのはこの辺だろうな。弱者が困った際の相談窓口の機能を、まるで果たしていない。

弱者支援政策は、「生活保護の一強状態」。生活保護制度以外の支援政策って、自分も含めたほとんどの人は認知していないんじゃないかな?/人によっては、生活保護よりも最適な支援政策がある筈だったりするが、それが弱者にアプローチしていない。

生活保護の一強状態」は、いろんな意味で日本の福祉行政を不幸にしている。生活保護制度は、あまりにも有名になりすぎたが故に、給付を意図的に抑制するなどのイレギュラーな運用を強いられる/他方、知名度の低い他の制度は閑古鳥

生活保護以外の弱者支援政策って、「知名度がないから利用率が低い」⇒「利用率が低いのは問題だとして打ち切られ、新しい制度が出来る」⇒「新しい制度だから、なお一層知名度が低くなってしまい利用率が低下・・・」のデフレスパイラルに陥っている気がする。

そろそろ大学の社会学部は「福祉行政学」の研究対象として、本気で「弱者への福祉制度の効果的周知メソッド」を研究すべきなんじゃないか?

昨日今日の「弱者向け政策の周知が、肝心の弱者にリーチしてない」なツイート、以前ツイートした「図書館の活用法を、肝心の弱者が知らない」ツイートに似ている。図書館の時、自分は「景品で弱者を釣る禁じ手を使え」と言ったが、知名度低い弱者支援政策も、景品で釣るべし

変な話だが、共産党公明党(の地方議員)同士で、『弱者救済競争』になって切磋琢磨してるんだな。もし公明党が出現せず、弱者救済が『共産党の独占状態』だったら、共産党も胡坐をかいてしまって、弱者救済がおざなりになってただろうな/『競争が好結果を生みだした』

そう考えると、『創共協定』で両者を和解させようとした松本清張は、『競争原理を、わかっていなかった』ということになるのか。

弱者救済って、たぶん欧米では教会がその窓口の役割を果たしている訳。だからアメリカでは連邦議会レベルでもカウンティ議会レベルでも、日本共産党公明党的な『弱者よろず相談政党』は出てこなかった訳だ。