東ロボ君と、学力低位層の読解能力

11月15日
人工知能「東ロボ君」による東大入試チャレンジ、まあ「話題性」という点ではアリなんだろうが、実社会への役立ち度で言えば、例えば「従業員100人程度の中会社における、人工知能による経理事務の代替」とか「小売店舗における、人工知能による店員機能の代替」を研究した方が、遥かに役立つ

一番緊急性高いのは「人工知能ロボットによる、介護の代替」だろうな

例えば役所の市民への説明文書などは、「市民が、ちゃんと文書を読める」前提で行政は制度設計してるが、実は半数近い市民は、「行政の文書を、正しく読みない」からなあ / “AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「…” http://htn.to/tLgvhS

湯浅誠氏の「義務教育課程で、半数の子供は読解スキルを見に付けられず、東ロボ君に負ける」のエントリ。課題はクリアになったが、さて義務教育において、「いかに全員に読解力を付けさせるか?」のメソッドは、実は「未だ確立してない」のでは?

逆に言えば、東ロボ君の東大チャレンジ研究は、義務教育下位層の読解スキル向上メソッドの解明にも繋がるのかもしれない。

湯浅誠氏のエントリで「義務教育履修者の半数は、読解力がない」とあったが、大学進学率が半数越えているのだから、つまり「読解力のない大学生が、少なからずいる」ということだな

理想論では「義務教育履修者の全てが、読解力を持つような教育を行う」べきなんだろうが、どうあがいてもそこまで教育メソッドを確立できないなら、逆に「大学進学は、読解力が身に付く人口だけに許可される」べきなのかも知れない

「義務教育履修者の半数に、読解力がない」となると、「読解力リテラシー向上のために、児童当たりの教師数を増やしたい」という文部科学省の政策は、一定の合理性がある

アメリカで「算数の授業をすっ飛ばして、国語だけを優先して授業(後から算数を授業)したら、トータルでは学力は向上した」という教育実験があるらしい/仮にそれが「真」であれば、日本でも算数スタートさせるのを、小学3年生辺りからと「後ずれ」させて、小学1年2年はひたすら読解力付けるべき?

福祉行政とか、対象者は残念ながら「読解力のないクラスタ」である可能性が高いので、救済手続きを対象者が読解出来ずに、そのまま救済されずに放置、というのが結構あったりする

「読解能力のある人/ない人がいる」というのは肌感覚として判るが、さて「読解能力を数値化してテスト判定する」という教育技術は、確立してるのか?

教育の難しいのは、「A群は、先に国語教育して、後から算数教育した」「B群は、先に算数教育して、後から国語教育した」「そして、A群とB群で学力比較した」のような「教育実験」が、なかなか出来ないから、本当に有効な教育メソッドが、見つからない点だよな

一部のツイートに「ひょっとして、読解力は教育や読書習慣で後天的に身に付くものでなく、先天的能力なのでは?」「となると、AIに代替されない人間と、AIに代替されてしまう人間の2種類に、先天的に差別されるのでは?」という極めて優勢学なツイートがあった/その可能性もゼロじゃないから怖い