古代、農民全員が庸・調を奈良に運んだなんてありえない

10月6日
何回も書くが、日本史特に古代史が苦手。何故イメージしやすい現代史じゃなく、全くゆかりの無い古代史から日本史教育はスタートするのか/苦手なのに、子供に日本史教えなきゃならん。知識レベルは子供と大差ない
改めて子供の古代史の教科書を見るが、「奈良時代、農民は庸・調を都に運んだ」「東国の農民は防人に駆り出された」とあるが、果たして「100%、農民は義務を履行していた」のか?近代のように「国民に義務履行を強制するシステム」が、果たして古代にあったのか?
これは私見だが、「庸・調を都に運べ」「防人として九州に出陣せよ」と奈良時代の庶民に命令を下したとしても、履行率は50%も無かったのではないか?
小学校の日本史では「農民に租庸調を課した」「防人の義務を課した」と習う。が、果たしてその義務通りに、農民が従ったかまでは習わない。その辺を検証してる歴史学者は、いるのか?
素朴な疑問を抱いてるのは、「農民に租庸調義務・防人義務を課して、その義務を本当に農民が果たしていた」のなら、「東海道とか北陸道とか、奈良時代の街道は、農民で大混雑してただろう」となるが、果たして混雑してたんだろうか?という疑問。当時の街道インフラは、それに耐えられないのでは?
小学校の古代史では「聖徳太子の功績」とか「大化の改新」とか習うが、それ果たして「功績」なのか?いかにも「蘇我氏などの豪族が、改革の足を引っ張ったか」的な学習を小学生にさせてるが、そもそも「天皇集権が是で、豪族が悪」という価値観そのものが、明治の維新史観なのでは?
実は蘇我氏などの豪族の方が、大王(天皇家)よりも古代日本経済の成長に寄与していたのかも知れない。その辺をバイアス抜きで考察してる歴史学者はいないのか?
話を租庸調・防人に戻すと、「義務を課した」と「義務が履行された」は全く別。現代でも、例えばNHK支払は「義務」だが、その履行率は半分あるかどうか/(憲法違反の)裁判員徴用は「義務」だが、その履行率はせいぜい2割
@NoAll_0 仮に男性200万人が「庸・調の対象で、奈良の都に行かなきゃ、ならなかった」と仮定すると、奈良の都には常時1万人程度、庸・調供出の農民が上京滞在してる計算になるんですよ。果たして奈良の都にそれだけのキャパシティが、あったのか?
そして、東海道とか東山道北陸道山陽道に、毎日数万人の農民が庸・調供出の為に「野宿」してないと計算が合わない。でも、そんな記録が残ってるのか?/そういう事実関係を押さえていくと、逆に「庸調の納税義務は、実はあまり履行されて無かったのでは?」という推測にたどり着きます
実際には農繁期・農閑期があるので、庸・調供出の為の「奈良上京の旅」は、農閑期(晩秋~冬)に殺到してることになります。つまり、マトモに全農民が租庸調義務を果たしていたとなると、奈良の都は農閑期には人口が平時の20万人から100万人に膨れ上がらないとオカシイ
が、奈良の都が農閑期の1月に人口100万人に膨れ上がったなんて話は残ってないのです/つまり、庸・調の「納税義務」は、実はあまり励行されてなかったか、他の人に代わりに持っていって貰ったかの、どちらかでしかない筈です
@hms_ulysses 恐らく、「誰か専門家に、庸・調の運搬を依頼した」が正解だと思われます/が、小学校の日本史では、その部分が割愛され、「関東の農民も、九州の農民も、奈良まで運搬義務があった」的に教えられる
@NoAll_0 子供の教科書には「平城京の人口は20万人」と載ってた/実際には農閑期に上京してきていただろうから、農閑期の奈良の人口は100万人は増えてなきゃならない