邦光史郎「十年後 21世紀編」は何故外れた?

4月21日
実家にあった「十年後 21世紀篇」を読み返す。出版は1992年/作者は邦光史郎を中心としたプロジェクトチーム/邦光史郎の初代「十年後」は1983に出版されて、それも買っていた筈なんだが、もう捨ててしまっていて、実家に無かった

初代「十年後」は、1983の時点で「ソ連の崩壊、冷戦の終結」を予言していて、当時中学生だった自分は「嘘やろ?」と思ってた/改めて邦光史郎の慧眼に感心した。この一点だけでも、初代「十年後」は、予言書としては「アタリ」である/でも、1992版の「十年後」は、ハズレが多いんだよな

しかし、1992版の「十年後」を見て、「どこが、外れているか?何故外れたのか?」を検証するのは、それなりに意味があると思う/1992版「十年後」では、「アメリカが衰退」「EUが経済の中心になる」と予想してる。まだウインドウズとかグーグルとかの出現が予想されてなかったからか?

そして「中国の資本主義化は、これは家族資本主義に留まるため、商業は発展しても、工業化には成功しない」としていて、大ハズレ/天安門事件直後で、中国の工業化に自信が持てなかった時代だったんだろう

少子化そのものは予想できていたが、「未婚の母が歓迎され、増加する」「性行動が積極化し、性病や中絶が増える」なんてのは大ハズレ。未婚の母でも何でもいいから出産が増えてくれたら良かったのに、現実は未婚の母も増えず

性病とか中絶件数も、どんどん減少してるんじゃ、なかったっけ?/「草食化」は、邦光史郎も予言できなかった

「ベビーシッターが普及する」との予言/これは、本格的に「何故、ベビーシッターが、シンガポールみたいに普及しなかったのか?」を検証した方がいい。「姑の眼が気になるから」なのか?

「国際結婚が増加する。日本人女性とイスラム男性、日本人男性とロシア人女性のカップル」と予言/実際は国際結婚はあまり普及しなかった/少子化対策としての「国際結婚の推進」という政策は、取れないのか?

この本の中で、やけに「オゾンホール」とか「酸性雨」とか出てきてたので、「当時は、そういうのがブームだったのか?」と思うようになった

「嫌風邪権が叫ばれるようになる」なんてのは、この本最大の「ハズレ」なんだろうが、逆に言えば、邦光史郎のプロジェクトチーム内で「嫌風邪権」を言い出したメンバーがいた、ということなんだろうな/イシキタカイ系の提言は、実現しない

というか、「デフレで失われた20年になる」と予言しなかった時点で、「ハズレ」だよな

その「失われた20年デフレ」のせいで「第三次ベビーブームが、来なくなった」とまで予言してたらスゴいのだが。

逆に、技術が予想を追い越したのもある。その人の居場所に固定電話が掛かってくる「追っかけ電話が普及する」と邦光史郎は予想したが、現実はそもそも固定電話じゃない「ケータイ」が一気に普及した

「個人医療情報が全てデータとして入ってる、医療カードが普及する」と予言してたが、現実は普及してない/これは、「技術的に出来ない」のではなく、「プライバシー的に、出来ない」という話。プライバシーの論点を整理して、なんとか実現すべき

「注目される街」の部分は9割ほどハズレてる。なんか可哀相になる/合ってるのは「東京一極集中は無くならない」というのと「福岡が注目される」の2点程度

邦光史郎によれば、「帯広が注目される」「他に盛岡とか高岡とか倉吉も注目」「関西では神戸が注目される」。大ハズレじゃん/一方で、結果的に地方都市で一番成長した名古屋については言及ゼロ

邦光史郎によれば「稚内にはサハリン天然ガスを使った巨大コンビナートや発電所」が建設されるハズだったんだが、どうしてこうなった?

都内についても「恵比須が注目される」 「六本木は、12号線開業で、先鋭的雰囲気が失われる」等々、外しまくり/恵比須ガーデンプレイスって、賞味期限5年程度だったよな?