【三四郎以降、東大生活を描いた小説がない】

3月16日
今更ながら、夏目漱石の「三四郎」を読んでみる/私見だが、夏目漱石三四郎が文壇で評価され、「日本近代文学の祖」になった理由は、案外単純な理由な気がする。「三四郎に描かれてる帝国大学の学生模様が、文壇主流派にとってインナーで懐かしかった」から、本来以上に評価された?
分かりやすく書くと、文壇の大御所たちも東京帝国大学の出で、だから夏目漱石三四郎は「東京帝国大学物語」で、心地良かった/それまで「東京帝国大学物語」を書いた作家はいなかったから、その意味では夏目漱石の目の付け所はシャープ
三四郎を読んでると、西片町辺りが舞台で出てくる/東京に詳しい人でも、西片町を知ってる人は少ないのでは?/あの辺り、今でも明治の香りがする
25年前の悪い東大駒場生は、本郷キャンパスに所用で出掛けた際、西片町を経由して帰る/ルート:東大正門→西片町→三田線春日→新宿線→笹塚→明大前→井の頭線。/悪い東大生は、井の頭線の定期券と、春日駅の初乗り切符で(以下自粛)/自動改札のない時代のお話
三四郎」読んでると、本郷エリアじゃなく大久保に住むことを「都落ち」的な書き方されてる/まあ当時大久保は東京市じゃなく豊多摩郡だったろうから、さもありなん
@tate_it 今「三四郎」読んでますが、市電が急速に発展したせいで三四郎が市電に乗り間違うエピソードがあります/今の東京40キロ圏鉄道網って、地方出身者にはカオスで、乗り間違い多数なんだろうなあ
三四郎の友人が貸家を探すエピソードが描かれてる/裏返せば、「不動産仲介業」という職業が確立してなかったことがわかる。人々は口コミ人ツテで空き家を探してた
田端とか荻窪とか馬込とかに「文士村」として作家が集住してたのは、作家が口コミ人ツテで空き家を探した結果、知り合い同士固まったから。/「不動産仲介業の未成熟が、文士村」を生んだ/トキワ荘も、不動産仲介業の未成熟の賜物?
不動産仲介業が発展するまでは、「同郷者が、同じアパート・同じ街に集住する」というのは、割と見られた光景
逆にいえば、不動産仲介業は「同郷集住による街の単一化」を防ぐ役割を果たした、と言える
西片町って、三浦展によれば「第一山手」なんだよな
三四郎」で、本郷エリアの寄席に行くシーンがある。戦前まで本郷に寄席があったと聞いている/普通なら、その後「活動写真屋」、つまり映画館が界隈に出来る筈だが、結局何故か本郷には映画館が出来なかった。何故?
よく考えたら、東大生の日々を描いた小説って、「三四郎」以降、存在しないんじゃないか?/小説じゃなくマンガなら「東京大学物語」・・・
京大は最近「鴨川ホルモー」で登場したりしてる
今の東大って、マジョリティは理系なんですよね/東大理系の日々実験な、「地味〜」な日々を描写した小説って、ないのかな?
3月17日
三四郎」の中に「明治15年以降生まれ」と「明治15年以前生まれ」が世代ギャップがあるような記載があり、脳内が「???」となった/調べてみたら、明治15年以前生まれは「漢文の素読」を叩きこまれた世代、以降は「近代的教育を受けた世代」で、モノの考え方に激しくギャップがあるらしい
今で言えば、「1〜2歳の時にスマホを経験した世代」とそうでない世代の差みたいなものか?
@mabow 失礼しました。大衆演劇場→映画館→焼失でしたね/それでも戦後映画の全盛期に映画館ゼロというのは、他の学生街だと、あったんでしょうか?/元々東大って「学生門前町」の類が発達しない。雀荘なんかも少ないし、学生向け大衆食堂も少ない
東大生自身にも責任があるが、「三四郎」みたいなリアルな「東京大学物語」を東大OBが小説化を怠ってきた、だから世間から余計に東大は誤解されてしまう。実際、東大が舞台の小説は後森鴎外大江健三郎にしかないようだ/このままでは世間は東大は「江川達也のマンガの世界」と誤解しちゃう
三四郎」時代の東大は、あれはあれで趣きはあるが、工学系統が全く描かれてない点で今の東大とは別物。今の東大の過半数は工学部
せいぜい生糸工業と綿紡工業しか日本になかった当時における東大工学部と、現代の東大工学部で、プレゼンスが雲泥の差なのは当然
いや、東大の様子は断片的な「私の履歴書」を繋ぎ合わせれば判るか。
3月18日
三四郎」読んでたら、「適齢期は女性過剰」的表現があった。日露戦争でそんなに男性が犠牲になったとも思えないので、感染症や栄養失調で夭逝する男児が当時は多かったんだろう/適齢期性比が男性過剰に転じたのは高度成長以降
3月25日
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