「司法は行政立法と対等」の建前は市民に共感されない

11月3日
先ほど「財務省は35人学級予算の刈り取りより先に、法務省裁判員予算の刈り取り(全廃)を優先すべき」とツイート。法務省予算って、なぜかアンタッチャブル

多分、財務省のキャリア官僚の多くは東大法学部出身。大学時代の恩師(東大法学部教授)が多数裁判員制度に関与しているから「恩師に関わる予算は刈り取りしづらい」という内部事情があるのでは?/自分の知人のキャリア官僚は、未だに東大法学部教授のゼミの忘年会とか出ている

11月4日
財務省キャリアが裁判員制度予算に斬り込みできないのは、古巣である東大法学部ムラにケンカを売れないからだ」とツイート/これに限らず、立法行政司法のうち「司法」は、国民の想像以上に霞ヶ関永田町界隈では厚遇されている。紫授褒章5人のうち2人が司法関係者らしいが、国民感情とズレ

以前、キャリア官僚の結婚式で、現役市長と高裁判事が招かれていたが、席次は判事の方が上だったらしい。国民感情からしたら「市民に選挙された市長の方が、判事より席次は上」と思うのだが、霞ヶ関キャリア界隈の感覚では「判事が上」らしい

三権の長」のうち、最高裁長官だけは国民に選挙された人物じゃない。しかし宮中序列は平等。国民感情的には違和感/裁判員制度導入の一因に、この「違和感」の是正があるのでは?「司法に市民参加してないから、最高裁長官の扱いを厚遇だと市民は感じる。ならば市民を司法に参加させてしまえ」