葬儀とは、家督相続のお披露目パーティーである

7月20日
ふと思ったが、昔の日本の葬儀で「喪主」を指定する意味は、つまり「家督相続する男子を誰にするのか、決める」という実質的な意味があったんだろうな。その意味で、葬儀には「家を誰が継ぐか」を決める権力闘争の場な訳だ

確か、堤康次朗の葬儀の席で、清二が「自分は喪主にならない」と宣言した、と聞いている。その実質的な意味は「自分は西武グループ家督を継がない」という意味/昔の日本において、葬儀というのは「新しい戸主のお披露目イベント」という実質的な意味があったんだな

「従来の葬儀が廃れ、直葬とか葬儀なしが増えている、それは何故か?」と議論されているが、「従来型葬儀の本当の主役は、故人ではなく新戸主の方であり、葬儀とは家督相続お披露目パーティーである」という本質に迫った議論を、見たことない

葬儀が「現代化した」というのは、つまり葬儀の「主役」が、「新戸主の男子」から「亡くなった故人」に変化したということです。だから「故人の遺志に応じた葬儀」にする必要がある

その意味で言えば、来るべき「大喪の礼」で、皇太子が多分喪主を務めると思うが、秋篠宮がどこまで「存在感を見せるか」が要注目。大喪の礼で、秋篠宮が皇太子並みに活躍するならば、それは「皇室の実権を、秋篠宮家が握る」ことを意味する