行政の「孤独死は不幸」の価値観押し付けは高齢者に合わない

1月23日
社会学の教科書にケンカ売る内容。「高齢者の孤独を防ぎましょう」「孤独死は不幸な死に方です」という「行政の常識」は、実は本人たちには「余計なお節介」 / “老後は「1人暮らし」が幸せ 家族同居より生活満足 (産経新聞) - Yah…” http://htn.to/rgDDuZt

高齢独居老人の周りには、「ダメ出しする人」がいなくて、ストレスフリーで「幸せ」/でも、同時に、振り込め詐欺とかリフォーム詐欺にも引っ掛かりやすくなるんだよね。家族との同居は、ストレスになる一方で、詐欺屋にダメ出ししてくれて詐欺防止になる

詐欺屋に引っ掛かっても、当の高齢者が(認知症も相まって)「幸せ」と感じてるのなら、むやみに「詐欺屋に気を付けましょう」と言うのも無意味な気がする。詐欺屋は孤独を紛らわせてくれる、幸せな存在

援助交際については、当の女子学生の「本人が幸せなら、いいじゃん」という言い分は、「それは違う」と社会がパターナリズム介入する/では、孤独死について「老人が幸せなら、いいじゃん」と言ってても、社会はパターナリズム介入すべきか?

ホモ・サピエンスという生物は、生産適齢期、生殖適齢期には「人と関わった方が、脳は幸せを覚える」が、晩年になれば「一人の方が、脳は幸せと感じる」ようにプログラムされている気がする。その方が種族の維持拡大にプラスだった

というか、ニホンザルとかアフリカ象も、死期を悟った個体は群れから離れる、みたいな話があるから、「死期が近いと、孤独の方が幸せ」というのは哺乳類共通の傾向なのかも/孤独死を「許してこなかった」今までが、高齢者には不幸だったのかも

老人に共同生活を強いる「老人ホーム」というシステムは、単に生産社会側にとって「効率的で、都合がいいから」というシステムなのかも。当の本人たちに、幸せなのか?

NHK「所さん事件です」という番組で、茨城県旧大洋村の黄昏別荘地に、シニア男性が「孤独死の死に場所を求めて移住する」な話題があった/番組政策側は「可哀想な老人で、こんな不幸は防ぎましょう」なスタンスだったのかもしれないが、当の老人達からしたら「余計なお節介」だったのだろう

老人ホームって、一握りのコミュニティ勝者が天下取って幸せを掴み、他のコミュニティ弱者は毎日ストレス感じながら最期の日までガマンしてるイメージ。「逃げ場」がない

実際、高齢者一人暮らしで「ほどほどに、幸せ」と感じてる人って、「認知症が進行してるが故に、不幸を感じなくなつてる」可能性も。明石家さんまが「認知症は神様が死期の近い人に幸せ感じさせるプレゼント」と言ってたのがわかる

社会が、そして行政が、「孤独死は、なんて不幸なんでしょう!」と価値観押し付けるのは、実は「孤独死の処理コストや風評被害(不動産価格の棄損)を、社会が負いたくないから」というホンネがあるんじゃないか説。価値観は後から強引に押し付けられる

社会の側が「孤独死されてしまうと経済的に損失大だから、バンバン孤独死されてしまうと困る」というのが本音なら、正直にそう言えばいいんですよ。「孤独死の処理代金分、年金を前引きします」とか/そういうことせずに、価値観の方を「孤独死って、不幸でしょ?不幸でしょ?」と押し付けるのがウザイ

@naoracca ゴミ屋敷と化してしまったら、嫌悪施設として近隣の地価までもが下がる、、(そこまで壮絶な孤独死は少ないか?)

実際、マスコミの「孤独死ルポ」で「こんな不幸を無くすには、どうすればいいか?」な報道すると、高齢者読者から「不幸なんかじゃない、むしろ孤独死したい」的な反応が多いらしい。つまり、マスコミは高齢者のホンネに向き合えていない

@tarepandism 旧大洋村の黄昏別荘地に隔離処分するのは、案外合理的なのかも

1月24日
昨日の「実は、孤独死を理想とする高齢者は多いのでは?」ネタ、これ行政なり大学なりが高齢者世論調査すべきだろうな。行政の「高齢者は家族と同居すべき」ドグマが否定される