宮脇俊三エッセイもろもろ

10月1日
宮脇俊三「時刻表2万キロ」によれば、当時(1976頃)は「亜幹線では、特急はガラガラだが、急行はそこそこの乗車率」だったらしい/感覚的には、当時の急行は、今の高速バス的な使われ方だったんだろうな

宮脇俊三の旅行紀読むと、写真担当の櫻井寛が、「フィルムが無くなりそうなので、この辺で写真撮影止めておきます」なセリフ言ってる/アナログカメラ時代って、確かに「フィルムのストック数の制限で、撮影枚数が制約された」よな。デジカメの無制限時代とは隔世の感

一行ネタ/宮脇俊三によれば、昭和19年当時、政府は「いつ空襲が来るか、判らない」とされ疎開が奨励されたが、国民側は「お上が言うような空襲は、来ないじゃん」と殆ど疎開しなかったらしい。/3月10日未明の空襲で、国民の意識が一変し、疎開が始まった

で、東京大空襲(下町大空襲)が、たまたま3月10日の「陸軍記念日」に起こった為、「次は5月27日の海軍記念日が危ない」と国民の間で噂されていたらしい